Waite, A[rthur] E[dward]
A. E. ウェイト
(1857-1942)
魔法名 Sacramentum Regis (5=6, G.D.)
☆ 「黄金の夜明け」団団員の中でもっとも毀誉褒貶の激しい人物。現在では主に「ライダー版タロー」の監修者として知られる。毀と貶を主張する代表者はクロウリーやリガルディーであり、誉と褒はギルバートに任されている。二次大戦前の隠秘学界にあって、ある意味ではもっともまともな本を著した人物といえる。
ウェイトは1857年10月2日、ニューヨークのブルックリンに私生児として出生している。母親は英国人、父親は船長であったがすぐに水死しており、カトリックの母とともに幼くして英国に渡り、ロンドンのイースト・エンドで少年時代を送る。教育は不規則なもので、学校に行ったり行かなかったりの日々であった。16歳で事務員として就職、この頃詩人として身を立てる気になるが、彼の詩才は十人が十人否定し去るものであった。
ウェイトをオカルト方面に駆り立てたものは、妹の死とカトリック教会への不信であり、彼をオカルト界きっての懐疑家にしたものは、妹を呼び出すための交霊会であった。ともあれオカルトの道を踏み出したウェイトは、以後、大英図書館に通って隠秘学書を読み漁ることになる。
ウェイトの「黄金の夜明け」団参入は1891年1月、誰の紹介によるものかは定かではない。当時ウェイトはジョージ・レッドウェイという出版社から著作を発表していて、この会社はマサースの作品も扱っていたから、出版社内では「黄金の夜明け」団のことは周知の事実だったようである1。ウェイトの参入は、しかし、翌1892年4月に4=7に達して終わりを迎えている。彼がセカンド・オーダー昇進を果たせなかった理由は、第一にマサースやウェストコットとの折り合いが悪かったことに加え2、彼自身が隠秘学よりは神秘主義に向いていたことによるものである。
「黄金の夜明け」団を一度しくじったウェイトが同団に再び参入することになったのは、団員にして友人のパーマー・トマスの熱心な勧めによるところであった。ウェイトは1896年2月17日に再参入し、1899年3月3日にセカンド・オーダーに達している。(これは比較的にいって緩慢なペースである) 1903年の「黄金の夜明け」団最終分裂の際に、ウェイトはブラックデンやパーマー・トマスとともにイシス・ウラニアテンプルを奪取して「聖黄金の夜明け」団
(The Holy Order of the Golden Dawn, H.O.G.D.)を組織、ここの指導者となる。この組織はウェイト好みのキリスト教神秘主義を中心とした教義展開をなし、昇進試験の撤廃と儀礼の改訂を特徴とする。主要メンバーにブラックウッドやアーサーマッケンなど、著名人が多い。
1914年、「聖黄金の夜明け」団が内紛によって潰滅すると、ウェイトは旧イシス・ウラニアから伝わる儀式文書や用具を多数焼却所送りにしており、このあたりが後年彼の悪評の一因となっている。
1915年、前回の轍を踏むまいと「薔薇十字友愛会」Fellowship of the Rosy
Crossを創立、この組織はウェイトが死去するまで存続した。
ウェイトはこの後、数々の著作をなし、「黄金の夜明け」系の人間のなかでもやたらと多作である。ただ、以前より深酒の傾向があった彼は、結局のところアルコール中毒となったようであり、二次大戦中、ロンドン大空襲の際に焼死している。噂によれば、真っ赤に燃え上がる街を背景にウェイトだけが青い炎に包まれていたという。
しかしギルバートの近著によれば、これはまったくのデマであり、実際はウェイトは畳の上で息を引き取っているという。
写真は当館所蔵の旧ウェイト蔵書にあった肖像。
1.1889年にウェイトはレッドウエイから筆名で『カード占いの手引き』 A
Hand Book of Cartomancy を出しているが、その筆名が「黄金の夜明け」団の《秘密の首領》の魔法名
Sapiens dominabitur astris なのである。これはレッドウェイ社内に於いて、「黄金の夜明け」団の件がほぼ知れ渡っていたことを示している。
2. 1887年、ウェイトが発表した『薔薇十字団正史』 The Real History of the
Rosicruciansに、「英国薔薇十字協会」を批判する記述があったため、同協会の会長職にあるウェストコットや会員の多数がウェイトを気にいらなかったのは当然である。
略歴
1857年10月2日、アメリカにて出生。
1860年、母に連れられ英国移住。
1873年、聖チャールズ・カレッジを経て就職。
1885年、 エリファス・レヴィの『魔術の神秘』を抄訳して出版。
1888年初頭、アダ・レイクマンと結婚。年末に一女誕生。 アダも夫とともに“Lucasta”の魔法名で「黄金の夜明け」団に参
入する。
1891年1月、「黄金の夜明け」団イシス・ウラニアテンプルに参入。
1892年4月、 同上退団。
1894年8月、 オカルト雑誌『知られざる世界』 The Unknown World の編集長に就任。11号が出た時点で休刊。
1896年2月17日、 「黄金の夜明け」団に再参入。
1899年3月3日、 セカンド・オーダー昇進。
1901年9月、フリーメイソンリーに入会。
1902年4月、「英国薔薇十字協会」に入会。
1903年7月24日、 「聖黄金の夜明け」団を率いて独立。
1904年春、『ホーリックス・マガジン』Horlick's Magazine の編集長に就任。この雑誌はホーリックス麦芽乳会社
Horlick's Malted Milk が出資したもので、18号を出して休刊している。
1909年から1913年にかけて、クロウリーから雑誌上でとことんからかわれるが、黙殺する。
1914年、 「聖黄金の夜明け」団潰滅。
1915年、「薔薇十字友愛会」創立。
1924年、 妻アダ死去。
1933年、メアリー・ショフィールドと再婚。
1942年5月、ロンドン大空襲の際に焼死、あるいは病院で息を引き取る。
|
|
直筆署名例 |
|
主要著作 |
The Book of Black Magic and Pacts, Redway, London. 1898.: Weiser,
New York, 1972.
The Pictorial Key to the Tarot, Rider, London, 1911.
The Brotherhood of the Rosy Cross, Rider, London, 1924.: University
Books, New York, 1961.
The Secret Tradition in Alchemy, Kegan Paul, London, 1926.
The Holy Kabbalah, Williams and Norgate, London, 1929.: University
Books, New York, 1960.
The Holy Grail, Rider, Londol, 1933.: University Books, New York,
1961.
Shadows of Life and Thought, Selwyn and Blount, London, 1938.
|
参考文献 |
Gilbert, R.A.: A.E.Waite: A Bibliography, Aquarian, Wellingborough,
Northamptonshire, 1983.
- - : The Golden Dawn: Twilight of the Magicians, Aquarian, Wellingborough, Northamptonshire, 1983.
- - : A.E.Waite, Magician of Many Parts, Crucible, Wellingborough, Northamptonshire, 1987.
Jensen, K. Frank, The Story of the Waite-Smith Tarot, Association for Tarot Studies, Melbourne, 2006.
|
関連ファイル |
メイネルの詩集 ウェイトのかつての蔵書および蔵書票 |
目次に戻る |