Westcott, William Wynn
ウィリアム・ウィン・ウェストコット
(1848ー1925)
魔法名 Quod Scis Nescis (SRIA)
Sapere Aude (5=6,G.D.) "dare to be wise"
Non Omnis Moriar (7=4,G.D.) "I shall not all die"(Horade, Odes, iii, 30, 6)
☆ 「黄金の夜明け」団の実質上の創立者。実生活に於いてはロンドンの検死官であり、高位のフリーメイソンとしても著名。1888年、偶然に入手した文書をもとに「黄金の夜明け」団を創立するが、団の権威づけのためにシュプレンゲル書簡を捏造して、後のトラブルの種をまく。一般人参加を前提とした近代型魔術結社の原型を創造したという点で最重要視されるべき人物である。
略歴
1848年12月27日、ウォリックシャーのレミントンにて出生。父は外科医。
1857年、父親死去。すでに母も死去していたため、やはり外科医である叔父に引き取られる。
1860年、キングストン・アポン・テームズのクィーン・エリザベス・グラマースクールに入学。
1871年、ロンドン大学にて医師資格を得た後、サマセットの叔父の手伝いをする。同時にフリーメイソンリーに入会。
1879年、一時的にヘンドンに隠居して、隠秘学研究に没頭する。
1880年初頭、「英国薔薇十字協会」に入会。結婚。
1881年、ロンドンの代理検死官に任命される。後にはロンドン北東部担当の正検死官となる。
1884年春、H.P.ブラヴァッキーに会い、神智学協会に入
会する。
夏、アンナ・キングスフォードの「ヘルメス協会」の名誉会員に迎えられる。
1885年、マサーズを自宅に居候させる。
1887年8月、友人であるウッドフォードという牧師から一連の《暗号文書》を譲られ、これを土台に魔術結社を創立することを思い付く。以後四か月間、書簡捏造に取り組む。
1888年3月1日、「黄金の夜明け」団を創立。同団の三首領の一人として、団の運営に携わる。
1891年、「英国薔薇十字協会」の会長となる。
1897年3月17日、ウェストコットの「黄金の夜明け」関係が当局の知るところとなり、検死官の職を保持するために退団を余儀なくされる。マサースがチクったとの噂。
1900年9月、「黄金の夜明け」団分裂後、A.O.(Alpha & Omega)のプレモンストレーターに就任。実際の活動は殆ど行わず。
1918年、検死官の職を辞す。
1919年10月、南アフリカのダーバンに移住。同地の神智学協会やフリーメーソンリーの幹事となる。
1925年6月30日、死去。
|
|
主要著作 |
An Introduction to the Kabbalah, Watkins, London, 1910.
The Isiac Tablet of Cardinal Bembo, Robt. H. Fryar, Bath, 1887.:
The Isiac Tablet, or the Bembine Table of Isis, Philosophical Research
Society, Los Angeles, 1976.
Numbers, TPS, London, 1890.
Sepher Yetzirah, TPS, London, 1887.: Weiser, New York, 1975.
*professional writing --
Suicide, Its History, Literature, Jurisprudence, Causation, and Prevention, H. K. Lewis, London, 1885.
|
参考文献 |
Gilbert, R.A.(ed.) : The Magical Mason, Aquarian, Wellingborough,
Northamptonshire, 1983. Westcott, William Wynn, The History of the Societas Rosicruciana In Anglia, privately printed, London, 1900.
Waite, Arthur Edward, The Brotherhood of the Rosy Cross, Rider, London, 1924.
Howe, Ellic, Fringe Masonry in England 1870-1885, Holmes Publishing Group, Edmonds, WA, 1999.
Howe, Ellic : The Magicians of the Golden Dawn, RKP, London, 1972.
|
目次に戻る |