Kingsford, Anna Bonus (nee, Anna Bonus)
アンナ・キングスフォード
(1846-1888)


☆ 英国ヴィクトリア朝の神秘主義者にして社会活動家。初期の女権論者であり、動物実験反対運動の指導者。神秘キリスト教を提唱して、「黄金の夜明け」団の創立者たちに深い影響を与える。

 1846年9月16日、裕福な貿易商兼船主ジョン・ボーナスの第12子としてエセックスのストラトフォードにて出生。幼少時より神秘的な事柄に興味を示し、妖精と戯れる日々を送ったといわれる。長じてはブライトンの女学校に入学したが、やや反抗的な少女時代を過ごす。詩作と作文を得意とし、17歳で処女詩集 Beatrice を発表する。
 1865年、 父親の死去により年700ポンドの年金を約束され、経済的に独立するようになると、狐狩りに夢中になるなど、後の動物愛護主義者とも思われぬ青春を謳歌する。後年の心霊術に対する興味もこの時期に生じている。
 1867年12月31日、いとこの公務員アルジャーノン・キングスフォードと結婚。ハネムーン初夜の翌朝に喘息の発作を起こし、そのまま実家に戻って養生生活に入る。この期間中に長女エディスを出産。夫アルジャーノンは病弱な新妻の世話を十分に行えるよう、国教会の牧師に転身している。

 生涯つきまとわれることとなる喘息の鎮痛剤としてクロロホルムを常用し、その幻覚的副作用かどうか意見の分かれるところだが、「マグダラのマリアの訪問」を経験する。この結果、国教会牧師の妻アンナは1870年9月にカトリックに入信して、洗礼名 Mary Magdalen を貰い、1872年6月には堅信式を受けて Maria Johanna の名を継ぎ足す。
 夫がシュロップシャーの教区に移ると、田舎牧師の妻という退屈な日常に嫌気がさして、当時売りに出ていた The Lady's Own Paper という女性誌のオーナー権を買収して編集長になる。この雑誌上でアンナは“Ninon"という筆名を用いて女権論から動物実験反対運動を展開し、世間に名を知られるようになった。
 1873年夏、新聞に掲載されたアンナの記事に興味を抱いたエドワード・メイトランドが彼女のもとに現れ、よき協力者となる。
 1874年、動物実験反対運動を推進するために医学を修める決心を固めるが、当時の英国内の医学校は女性に門戸を解放しておらず、パリ大学に留学する。夫は教区を離れるわけにはいかないので、病弱な妻の世話はメイトランドに委ねられることとなった。

 パリ時代のアンナは、美女とみれば声をかけなければ気がすまないフランス野郎に悩まされながらも勉学に励み、また、彼女自身の言葉によれば、「フランス医学界に巣くう黒魔術師ども」に妨害されながら、光の道を進んだのである。彼女の「ヴィジョン」もこの時期に増加しており、ほとんど毎晩のように天使や聖人が彼女を訪問している。
 パリとロンドンを往復する6年間の後、1880年7月22日、 医学博士の学位を取得。これは当時の女性としてはきわめて異例の高学歴であり、アンナの動物実験反対運動はいよいよ勢いづくが、同時に「ヴィジョン」に端を発する霊的探求も進み、ロンドンの心霊術界にも頻繁に出没するようになっている。

 1882年、それまでの「天使の訪問」に啓示を受けて神秘キリスト教を提唱するようになり、基本テキストとして The Perfect Way を発表、一躍神秘主義者として脚光を浴びる。同年9月には神智学協会にかかわるようになり、1883年1月7日にはロンドン・ロッジの会長に選出される。

 1884年3月、ブラヴァッキーがロンドンに到着してから、アンナとロシア婦人の仲は不穏なものとなった。これは主に教義信条上の理由によるものであり、キリスト教に果敢な攻撃をかけるブラヴァッキーと、神秘キリスト教を奉じ、マハトマを認めないアンナが協調していけるはずがなかった。アンナはロッジの会長職を辞し、1884年5月9日、新たに「ヘルメス協会」を組織している。
 その後、「へルメス協会」を中心として多くの講演や研究会を行うが、アンナの体調の悪化にともない協会も自然休会となっている。 1888年2月22日昼、ロンドンにて肺炎が原因で死去。41歳の短い一生であった。佳人薄命。

  アンナ・キングスフォードは毀誉褒貶の激しい人物であり、信奉者にとっては女神の化身にして預言者、反対派に言わせれば家庭を顧みない性悪女にしてメイトランドと不道徳な関係にある背徳女である。誰もが認めているところは、とにかく彼女ほど美しい女性はいなかったということくらいであろう。
 アンナの神秘キリスト教思想は聖書のヘルメス学的解釈を中心として東洋と西洋の融合をはかるものであり、カバラやグノーシス、スーフィズムまでをカヴァーする。この傾向は、「ヘルメス協会」の名誉会員であったウェストコットマサースの「黄金の夜明け」団にも引き継がれているといえよう。


主要著作 Beatrice, A Tale of the Early Christians, Masters, London,1863.
River-Reeds, Masters, London, 1866.
Rosamunda the Princess, Parker, London, 1875.
The Perfect Way in Diet, Kegan Paul, London, 1881.
The Perfect Way; or, The Finding of Christ, Hamilton, Adams & Co., London, 1882.: Field & Tuer, London, 1887, 1890.
The Virgin of the World, Redway, London, 1884.: Wizard Book Shelf, Minneapolis, 1977.
Astrology Theologized, Redway, London, 1885.
Health, Beauty and the Toilet, London, 1886.
Dream and Dream Stories, Redway, London, 1888.
Clothed with the Sun, Redway, London. 1889.: Ruskin Press, Birmingham, 1906.: Watkins, London,1912.
Addresses and Essays on Vegetarianism, Watkins, London, 1912.
The Credo of Christendom, Watkins, London, 1916.

参考文献 Maitland, Edward: Anna Kingsford, her Life, Letters, Diary and Work, 2 vols., Redway, London, 1896.: Watkins, London, 1913.
           : The Story of Anna Kingsford and Edward Maitland, and of the New Gospel of Interpretation, Ruskin Press, Birmingham, 1894.

関連ファイル アンナ・キングスフォード 27歳


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