Gardner, F[rederick] L[eigh]
F.L.ガードナー (1857-1930)

魔法名 Crede Experto (0=0, G.D.)
De Profundis Ad Lucem (5=6, G.D.)


☆ 「黄金の夜明け」団の魔術師。単なる民間人であるが、彼の残した書簡や文書その他がジェラルド・ヨークのコレクションに収まり、現在では「黄金の夜明け」系文書の原典として重要視されている。

 1857年3月31日、ロンドン北部ハイベリーにて出生。両親が心霊術マニアだったために、幼少時よりオカルト的環境に育つ。
 1875年前後にハマースミスの学校を卒業して証券会社の事務員となり、1886年には独立して自分の事務所を開いている。
 神智学協会に入会したのも1886年あたりと推測されている。彼はブラヴァッキーの信奉者であり、ブラヴァッキー・ロッジ(いわゆる「秘教部」)のメンバーであったが、ブラヴァッキーの死後、アニー・ベザントを嫌ってほぼ退会状態となったようである。
 同時期、フリーメイソンリーにも入会しているが、こちらも長続きせず、3年で退会。ガードナーは双方の組織に錬金術的神秘と実効のある魔術を求めて失望したものといえる。しかし神智学協会を通じて錬金術研究家にして「黄金の夜明け」団員 W.A.アイトンの知遇を得、文通を通して「黄金の夜明け」団への参入を勧められている。また、ウェストコットブロックとも神智学協会関係で面識を得ており、これら3名の影響で「黄金の夜明け」参入を果たしたものと思われる。
 1894年3月20日、「黄金の夜明け」に参入。
 1895年4月2日、セカンド・オーダーに参入。
 ガードナーの「黄金の夜明け」キャリアは紆余曲折に富むものであった。障害の原因の一つは、ガードナーには儀式遂行に必要な演劇的センスが皆無であったことで、証券取引所の場立ちさながらの怒鳴り声しか出せないものだから、再三に渡ってフロレンス・ファーから注意を受けている。何事につけいいかげんなファーも、儀式の美的芸術的遂行に関しては妥協しなかったのである。
 1896年12月、アニー・ホーニマンが団から除名された時に、彼女と比較的仲がよかったガードナーは処分取り消し嘆願書署名運動を率先して行ったが、徒労に終わっている。このあたりから彼が団史に登場し始めるのである。
 1897年初頭、ガードナーはマサースの財政問題に首を突っ込むようになっており、例の『アブラメリン』出版に資金を出して、しかもそれを回収しようと考えたのが間違いの始まりであった。すでに団内で評判が悪くなりはじめていたマサースの金銭面にかかわったために、マサースの手先と見られるようになってしまったのである。しかも、金を出しているという強みから、マサースに対して高圧的な態度を見せたために、このパリのケルト人からも嫌われてしまい、四面楚歌の状況を自ら招いてしまった。さらにフロレンス・ファーから再び儀式遂行時の無作法に関して警告を受けたために、ガードナーも頭に来て1897年9月21日にイシス・ウラニアからブラドフォードのホルス・テンプルに籍を移している。もっとも、これをもってガードナーの事実上の退団と見なしてよいだろう。
 以後、彼は英国薔薇十字協会の活動に熱中しており、ウェストコットの指導下で古典的隠秘学研究に励み、1898年1月13日に同協会の副書記に任命されている。
 ガードナーは蔵書狂の人物で、1885年から15年間で10,000冊以上の隠秘学書を集めており、また何であれ文字の書いてある紙は保存しておく性癖を有していた。このために彼のコレクションは想像を絶する厖大なものとなっている。ガードナーは1903年に証券取引業から引退し、自宅で通信販売専門の古書店業を営むようになった。
 1930年、死去。

 ガードナーの化け物のようなコレクションはオカルト専門古書店主マイケル・ジャステに譲渡され、その中の「黄金の夜明け」関係文書は1950年代にジェラルド・ヨークが一括購入している。
 ガードナーは色々と団内でやらかした人物であったが、現在の視点から見ると、その異常なまでの蒐集癖が後年の研究者に大変な恩恵を施している。

主要著作 Catalogue Raisonn of Rosicrucian Books, Soc. Roc., London, 1903.
Catalogue Raisonn of Astrological Books, Soc. Roc., London, 1911.

参考文献 Howe, Ellic: The Magicians of the Golden Dawn, RKP, London, 1972.
  − (ed.): The Alchemist of the Golden Dawn, Aqauarian, Wellingborough, Northamptonshire, 1985.


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