Besant,
Annie (nee, Annie Wood) アニー・ベザント (1847-1933) ☆ 英国の社会運動家にして女権論者、神智学協会の指導者。インド独立の母、とまではいかなくとも、産婆助手くらいの位置は占める存在。 1847年、ロンドンにて出生。20歳で国教会の牧師と結婚するもすぐに別居。以後、性差別に対する義憤を出発点として、様々な社会の矛盾に立ち向かう闘士となる。私生活ではバーナード・ショウの愛人として浮名を流す。 1888年、ブラヴァッキーに会ってそれまでの無神論者から神智学協会員に転身。あっと言う間に協会内で昇進して、1891年、ブラヴァッキーの死後、協会会長の座を占める。 その迅速な昇進と強烈な個性のためにベザントを嫌う協会員も多く、彼女の会長就任後に神智学協会は分裂期に入っている。 ベザントはレッドビーターを片腕として、それまでの心霊術的側面の強かったブラヴァッキー型神智学から脱却して、世界的宗教を目標とするようになり、ありとあらゆるオカルト方面に進出して組織を作っている。例としては、女性の参入を認める「友愛メイソンリー」Co-Masonry1や、クリシュナムルティ少年2を「世界の教師」にして「キリストの再来」と仰ぐ「東方の星」団 Order of the Star in the East が挙げられる。 ベザントの世界宗教構想は結局のところ水泡に帰しているが、晩年に心血を注いだ「インドに自治権を」闘争は後年のインド独立運動に多大な影響を与えている。 1. この組織の認可状はフランスのグランドロッジから出ているため、英国のユナイテッド・グランドロッジでは相手にされない。 2. レッドビーターが1909年にアディヤルの神智学協会本部で発見した14歳の少年。レッドビーターの霊視によれば、この少年にはキリストに宿っていた偉大な“マスター”の霊が内在していたそうであり、ベザントは少年を養子にして、理想的な教育を施して「世界の教師」にしようとたくらんだのである。しかし、当のクリシュナムルティは1929年にいわば「人間宣言」をして神智学協会と絶縁してしまった。 |
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主要著作 | Fabian essays in Socialism, The Fabian Society, London, 1899. (with Bernard Shaw). Autobiography, TPS, London, 1893. The Ancient Wisdom, TPS, London, 1897. Esoteric Christianity, TPH, Adyar, 1905. Occult Chemistry, TPH, Adyar, 1907. The Ideals of Theosophy, Theosophist Office, Madras, 1912. Evolution and Occultism, TPS, London, 19143. |
参考文献 | Besterman, Theodore: The Annie Besant Calendar, TPH, London, 1927. Williams, Gertrude M.: The Passionate Pilgrim , A Life of Annie Besant, John Hamilton, London. West, Geoffrey: Life of Annie Besant, Gerald Howe, London, 1929. Nethercot, A. H.: The First Five Lives of Annie Besant, Hart- Davis, London, 1961. − − : The Last Four Lives of Annie Besant, Hart- Davis, London, 1963. Prakasa, Sri: Annie Besant, Bharitiya Vidya Bhavan, Bombay, 1954. Manvell, Roger: The Trial of Annie Besant and Charles Bradlaugh, Horizon Press, New York, 1976. |
関連図像 | 若き日のベザント |
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