Ayton, W[illiam] A[lexander] W. A. アイトン (1816ー1909) 魔法名 Virtue Orta Occident Rarius (5=6, G.D.) ☆ 「黄金の夜明け」団の最年長者であり、錬金術研究家として有名。フリーメイソンにして神智学協会員。「黄金の夜明け」団に参入した時点で72歳の老人であったため、団史にはほとんど関係ない存在であるが、魔術的錬金術の専門家として貴重。彼がF.L.ガードナーと交わした書簡集が刊行されている。 1816年4月28日、ロンドンにて出生。1841年にケンブリッジ大学トリニティー・カレッジを卒業。ほどなく牧師となり、各地の教区を転々とした後、1873年にオクスフォードシャー、バンベリー近郊のシャコムという小さな村の教区牧師となる。フリーメイソンリーへの入会は1866年。 アイトンの隠秘学への興味はケンブリッジ時代にさかのぼるものであり、国教会の牧師となった後も錬金術その他の研究を続けていたようである。 「黄金の夜明け」団への参入は1888年7月というからもっとも初期の参入者の一人である。神智学協会経由で入会したものと思われる。 団に於ける彼の立場は、長年錬金術を研究してきたご老体として他の者たちの敬老精神を鼓舞するにとどまっている。アイトンがロンドンに出て来るのは年二回の集団儀式の時だけであったから、他の団員に接する機会も少なかったのである。それでも彼は魔術修行に励み、1890年に名誉5=6、1892年9月20日に「地下納骨所」儀式を受けてれっきとした5=6になっている。 イェイツは自叙伝でアイトンに言及している。 「マサースとともに私は老齢白髪のオクスフォードシャーの牧師に会った。これほど恐慌に襲われがちな人物には会ったことがなかったが、それでもマサースの紹介するところでは、『こちらは我々を太古の偉大な達人たちと一体にしてくださる方だ』とのことだった。この老人は私を脇に呼んでこう言った、『霊は決して呼びださんほうがよい。大変に危険じゃ。たとえ惑星霊であろうと、最後には牙を剥いてくると言われとる』『幽霊をご覧になったことはおありですか』と私が尋ねると、『ああ、一度ある』との答えだった。『家の地下室に錬金術実験室があっての、司教に見付からんところじゃ。ある日、階段を上り下りしとると、別の足音が脇でやはり上り下りするのが聞こえての。振り返ると、昔恋した娘がおる。ずっと以前に死んだ娘じゃ。わしに接吻しようとした。いやいや、そうはさせんよ』『何がいけないんです』と私は言った。『そりゃ、わしにとりついたかもしれんじゃろ』『錬金術の研究は成功なさいましたか』と私は尋ねた。『ああ、一度不老不死の秘薬を製造したことがある。あるフランスの錬金術師が匂いも色もそのものだと言ってくれた』(この錬金術師は60年代に英国を 訪問して、なんだってしゃべったエリファス・レヴィかもしれない)『じゃが、秘薬の第一効果は爪と毛髪が抜け落ちることなんじゃ。どこか間違いをしでかしたんじゃろうが、なにも起こらずじまいでの。だから、戸棚にしまってそれっきりにした。老いぼれたら飲むつもりだったんじゃが、先日取り出してみると、すっかり蒸発しとった』」1 楽しい老人だったようである。 アイトンは「黄金の夜明け」団分裂後、ウェイトの組織の名誉首領となっているが、老齢のためにさしたる活動も行っていない。 1909年元旦、死去。 1. Yeats, Autobiographies (London: Macmillan, 1980), p. 184. |
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主要著作 | Smith, Thomas: The Life of John Dee, translated from the
Latin of Dr Thomas Smith, Eng.tr. W. A. Ayton, TPS, London, 1908. (翻訳) |
参考文献 |
Howe, Ellic (ed.): The Alchemist of the Golden Dawn, Aquarian, Wellingborough, Northamptonshire, 1985. |
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