Farr, Florence Mrs Emery フロレンス・ファー (1860ー1917) 魔法名 Sapientia Sapienti Dono Data (5=6, G.D.) ☆ 当時の代表的舞台女優にして「黄金の夜明け」団の中心人物の一人。 1860年、著名な医師ウィリアム・ファーの末子として出生。ファー医師はフロレンス・ナイチンゲールの同僚であり、白衣の天使にちなんで娘を名付けたといわれている。 さて肝心の娘はロンドンの女学校で教育を受けたが、あまり出来のいい生徒ではなく、成年に達してすぐ父親の死去により年金が入るようになったため、自由気ままな生活を送る。一時的に教職に就くが長続きせず、天性の美貌と声を武器に演劇の世界を志すようになった。 フロレンス・ファーという人物は「決して悪い人じゃないけど、ちょっとだらしない」というところであろう。女優としては今一つの訓練に欠けていて、性格俳優にはなれなかったし、家事労働は大嫌いなので主婦にはなれず、著名な俳優エドワード・エマリーと結婚したが、すぐに別れている。彼女は役にはまった時には素晴らしい才能を見せるが、一言でいえば融通性がないのである。おまけに、頼まれれば厭と言えない人の良さも持ち合わせていたので、男出入りも激しかった。(30歳になるまでに恋人の数は14名に昇るという) ファーの「黄金の夜明け」団参入は1890年7月、当時のボーイフレンドの一人であるイェイツの勧誘によるものである。団内で彼女はたちまち頭角を表し、セカンド・オーダー昇進は1891年8月2日。以降、儀式実行時の中心的指導者となっている。神秘思想に於けるファーの関心はエジプトに集中していて、自ら『エジプトの魔術』(1896)を著している。そして彼女のエジプト熱中が「黄金の夜明け」団逸話の中でも特に奇怪な“スフィア”伝説を生むのである。 1895年末、ファーは大英博物館で星幽体投射を行って、8=3に相当する高位階のエジプト人達人に接触した1。この達人はもちろん霊的存在であり(ファーは人称代名詞に“she"を用いている)、大英博物館エジプシャン・ギャラリーに展示されていた彫刻像の中にいたというのである。ファーはこの接触をマサースに通知して、さらなる研究の許可をもらっている。 1897年3月、ファーは退団したウェストコットの後を受けて第二代「英国の首領達人」(Chief Adept in Anglia)に就任するが、同時に上述の「エジプトの達人」方向の追求のためにセカンド・オーダー内に“スフィア”グループを結成している。主なメンバーはブラックデン、フェルキン、ファーの姉ヘンリエッタ・パジェット等であり、星幽体投射を行っては様々な象徴を得て、それを土台に団本来の象徴体系に改変を加えた。ファーのだらしなさも相俟って、この時期の「黄金の夜明け」団は試験もろくに行われず、混沌状態にあるといってよい。 1900年4月、マサースの追放と入れ代わりにアニー・ホーニマンが団に復帰して書記の座に就くと、すぐさまファー対ホーニマンの大喧嘩が始まった。何事にせよ筋を通さなければ収まらないホーニマンは、ファーの乱脈運営と“スフィア”を徹底的に糾弾したのであり、この時にイェイツはホーニマンに同調している。この抗争は、すでに団執行部の過半数を“スフィア”に参加させていたファーの完勝に終わった。 かくして“スフィア”を堂々と行えるはずであったファーは、しかし、1901年秋の「ホロス」事件を前後して「黄金の夜明け」団から退団している。同時期に“スフィア”のメンバーも多数退団しているから、ファーたちが別個に団を組んで活動を続けた可能性は残される。いずれにせよファーは隠秘学研究を諦めたわけではなく、その後も関係書を発表している。 1912年、癌の手術を受けて一命をとりとめたファーは、転地療養も兼ねてセイロンに移住している。同地でラマナサンヒンズー教徒女子学校の校長といううってつけの職を得て(細かいことは問われない南方のおおらかさが彼女向きである)、幸福な晩年を送る。 1917年4月29日、死去。 1. ファーの書簡の原文は次のごとし − “...at the end of the year 1895 I came across an Egyptian Adept in the British Museum ..." この部分を大英博物館で星幽体投射を行ったと解釈する理由は、長年に亙って「黄金の夜明け」団の支部が大英博物館にあったという噂に加え、同時期に少なくとも2名の博物館職員が「黄金の夜明け」団団員であったという事実が確認されていることによる。 |
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主要著作 | A Short Enquiry concerning the Hermetic Art, TPS,
London, 1894. The Dancing Faun, Elkin Mathews, London, 1894. The Beloved of Hathor and the Shrine of the Golden Hawk, Croyden, np., nd. [with Olivia Shakespeare] Egyptian Magic, TPS, London, 1896.: Aquarian, Wellingborough, Northamptonshire, 1982. The Way of Wisdom, Watkins, London, 1900. The Mystery of Time, TPS, London, 1905.:R.A.Gilbert, Bristol, 1990. Modern Woman, Palmer, London, 1910. The Solemnization of Jacklin, Fifield, London, 1912. Magic of a Symbol, Holmes Publishing Group, Edomnds, 1996.[ed. Darcy Kunts] The Enochian Experiments of the Golden Dawn, Holmes Publishing Group, Edomnds, 1996.[ed. Darcy Kunts] The Serpent's Path, Holmes Publishing Group, Edomnds, 2001.[ed. Darcy Kunts] *The Theosophical Review 寄稿文 1906年9月号 "A Dialogue of Viision" |
参考文献 | Cliford Bax ed.,: Florence Farr, Bernard Shaw, W.B. Yeats: Letters, Home and Van, London, 1946. Johnson, Josephine:Florence Farr:Bernard Shaw's ‘New Woman'、 Colin Smythe, Gerrads Cross, Buckinghamshire, 1975. Peter, Margot: Bernard Shaw and the Actresses, Doubleday, New York, 1980. Greer,Mary K : Women of the Golden Dawn, Park Street Press, Vermont, 1995. |
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