EARLY SCHOOLS OF GERMANY AND THE LOW COUNTRIES
ドイツおよびフランドル地方の初期流派
LE MAITRE DE L'AN 1466. 1466年のマスター。 このマスターの本名は知られていない。残した作品の数点に1466年という日付が入っていたがゆえに、バルチ氏がこう名づけたのである。1467年と刻まれた作品も多く、またバルチ氏が見逃したと思しき1465年付けの作品もある。現在筆者のコレクションに収まっているこの作品は、もともと1461年の作と考えられてきた。またマスターの作と思われるきわめて小さな版画もあり、それには1460年という文字が読み取れるという。しかし日付の最後の数字がどの作品でもあまり鮮明でないことに加え、1460ないし1461を意図したものであろうとする想定は、われわれが1462、63、64年の日付を持つドイツおよびフランドル派の彫刻版をまったく所有していないという状況と対立する。問題の小さな版画の1460年の0が、実はゴシック文字の4であったという可能性も否定できない。この場にて紹介される見本の日付にも見られるように、ゴシックの4の上半分は0に酷似しているからである。 このマスターの作品は実に多い。この流派のゴシック趣味と活躍した年代という制限にもかかわらず、驚くべき美点も多いといえよう。かれは豊かな独創性を持ち、またデザインに大いなる才能を見せている。通常かれは、衣服のひだや人物の皮膚部の濃淡において、明部には点描ないし短線を用いる。大面積の暗部にはきわめて目のつんだ線影を用いることで要求された強さを出すため、網目にする必要がない。ときおり網目線影を用いることはあっても、以前の線を直角にクロスすることはまず許さないのである。かれのデザインはフランシス・ファン・ボックホルトやイスラエル・ファン・メッケンのそれと少なからず類似している。両名が弟子であった可能性はないとはいえまい。メッケンなどは実際、数枚の模写を残しているほどである。 |
27 | 「キリストの顔が浮かび上がる聖汗布を持つ二聖人(おそらく聖ペテロと聖パウロ)。 original size 114*155mm. この作品にはゴシック頭文字で E.S.、 1467という日付がと入っている。バルチ第六巻37頁86番。『考究』603頁。 |
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28 | 「ドラゴンを退治する聖ミカエル」 original size 95*139mm. |
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29 | 「アダムとイブに知恵の実を食べてはいけないと命ずる全能主」。 original size 155*204mm. 「1466年のマスター」作のきわめて興味深い作品。バルチ第六巻4頁1番。『考究』597頁。 |
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30 | 「喧嘩する二人の農夫」。 original size 113*148mm. 背景には居酒屋と九柱戯が描かれており、喧嘩の原因とされているのかもしれない。この作品も1466年のマスターの手になると思われるが、バルチの目にはとまっていない。 |
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31 | 「庭園にいる六名の紳士淑女、うち二名はチェスに興ずる」。 original size 235*187mm. この作品も1466年のマスターのタッチと驚くほど類似しており、かれの手になる点に疑問の余地はほとんどないと思われる。しかしバルチ氏はこの作品を第十巻54頁にて「15世紀ドイツの未知の作家」の作としている。 |
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32 | 「紋章盾をささえる裸女像」。 original size 75*75mm. 円像。この小版画の作者に関しては推測を控えたい。スタイルに関しては前出のマスターの作品に類似するところ大であるが、刻印はマルチン・ショーンガウワーのそれによく似ている。 |
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33 | 「手押し車で老女を運ぶ老乞食」。 original size 104*165mm. ゴシック頭文字でB.S.と入っており、以前は Bartholomew Schon or Schongauer すなわちマルチン・ショーンガウワーの兄弟のことだと考えられてきた。しかし現在ではマルチンにはそういった兄弟はいなかったとされている。バルチ第六巻75頁20番。 |
ISRAEL VAN MECKEN イスラエル・ファン・メッケン 誕生14**年 死去1503年 ハイネッケンはその著書『概論』の226頁においてボックホルトにて聞かされたとある伝承に触れている。すなわちイスラエル・ファン・メッケンなる苗字と名前を有する父子が15世紀に同地に住んでいたという。父親は金細工を生業とし、版画師となった息子は1523年に死去したとされる。三桁目の数字は恐らく印刷ミスであろう。この伝承の真偽に関しては、イスラエルを名乗る二名の人物の実在は疑いようがないといえる。当の父子を描いた肖像版画が残っているからである。肖像画の真贋に関しても疑問の余地はない。当時の服装をした作家とその妻の胸像画であり、底辺余白に Figuracio facierum. Israhelis. et Ide ejus Uxoris. と刻まれている。しかし最近われわれが調査の機会を得たもう一枚の版画に関しては話がちがう。われわれの目には巨大なターバンをかぶり長いあごひげを生やした老トルコ人の肖像画にしか見えないのである。たしかに作品の下部に Israel Van Meckenen Goltsmit と入っているが、これはどうみても作者の署名と見なすべきであろう。この作家の署名は Israel Van Mecken, Israel V.M. tzu boekholt, I.V.M., Israel などが他の作品に残っている。この版画がイスラエル父子のどちらかの肖像画であったとすれば、服装はもっと違うものになっていたであろうし、刻むべき文言は Figuracio faciei Israelis, 等になったものと思われる。全体的に見て、これら2枚の版画は前出の伝承を確証するものでも否定するものでもないようである。さらにバルチによれば、現在われわれに伝わる、様式も異なる多数の版画(220枚以上が現存)が、実は一人の作家の手になるものである可能性もでてきたという。この作家はのちに貴族となり、ゆえにその後の作品や再版品にファンの字を加えるようになったというのである。ファン・メッケンの作品はゴシック色が強く、きわめて古風なものもある。 |
34 | 「老女から甘い言葉で金をせしめようと必死な若者」。 original size 105*133mm. 半身像。バルチ第六巻266頁169番。恐らく作家の若い頃の作品か。 |
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35 | 「若き騎士と貴婦人」。 original size 115*170mm. 当時の服装の全身像。バルチ、182番。 |
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36 | 「僧服姿の僧侶と女性」。 original size 115*175mm. バルチ、176番。以上二点はコスチューム画の一部であり、作家の最高傑作のひとつと見なされている。 |
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37 | 「船」。 original size 130*170mm. 面白い品である。バルチ、196番。 |
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38 | 「葉飾り」。 original size 147*215mm. 頂上にミツバチと蜘蛛が見られる。下には野蛮人の戦闘の図。スクロールにはそれぞれ以下の文言が記されている。 Flore pulchro nobili apes mella colligunt. Ex hoc vermes frivoli virus forte haurunt. バルチ、207番。 |
MARTIN SCHONGAUER マルチン・ショーンガウワー 誕生1453年* 死去1499年。 この著名な作家はコルマールの出生にして住人であり、版画家としての評判とは別に、当時最高の画家の一人と称えられていた。サンドラルが語るところ、ショーンガウワーはラファエロの師匠ピエトロ・ペルジーノと親しく文通していたという。またヴァサーリによれば、かの偉大なるミケランジェロも若い頃に「聖アントニウスが空中にて悪魔に苦しめられる図」の版画に夢中になり、それは丁寧に色つきで模写したという。 かれの版画は総数120点に及び、大いなる独創を示している。またデザイナーとして卓越しており、自然観察にも大変熱心であった点も明らかである。人物の裸体に関してはフォルムが貧相であるが、これは作家よりもむしろ時代の制約であろう。聖書の登場人物を描いてもきわめて表情が豊かであるし、かれの聖母や聖女、天使たちは優雅な身のこなしと純粋さを有しており、それがますますかれらを魅力的にするのである。 * ショーンガウワーの生年を1453年とする根拠に関して興味をお持ちの読者は拙著『考究』の638頁以降をあたられたし。 |
39 | 「幼い救世主を膝に乗せる聖母像」。 original size 125*178mm. バルチ第六巻、134頁32番。この作品はイスラエル・ファン・メッケンによって模写されている。 |
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40 | 「荷物を積んだロバを追う農夫とロバの仔」。 original size 120*78mm. バルチ、89番。この作品もファン・メッケンが模写している。 |
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41 | 「葉飾り、および小鳥を貪る梟の図」。 original size 115*168mm. バルチ、108番。同様のデザインをF・ファン・ボックホルトも版画にしている。おそらくショーンガウワーの板が原版であろう。 |
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42 | 「会話する女性と二人の男性の半身像」。 original size 162*118mm. きわめてゴシック調。 この作品はショーンガウワーのイニシャルが入ってはいるものの、かれの真作とは思われていない多くの初期版画のひとつである。バルチ氏が第六巻174頁にてこの作品に触れている。原版はニュールンベルグ在の故 Mr. de Praun のキャビネットに保管されているとのこと。 |
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