Mathers, Moina MacGregor (nee, Mina Bergson)
モイナ・マグレガー・マサース 旧姓 ミナ・ベルクソン
(1865ー1928)

魔法名 Vestigia Nulla Retrorsum (6=5、 G.D.)
"no retracing our steps" (Horace, Epistles, i, I, 74)

☆ 「黄金の夜明け」団史に於いて唯一、6=5という位階を得た人物であり、夫マサースとともに《秘密の首領》接触を図った女性。著名な哲学者アンリ・ベルクソンを兄に持つ。
 モイナは「黄金の夜明け」団にあって、もっとも人から好かれた女性であり、美術学校出身の利点を生かして団の儀式文書に挿絵を描いたり、儀式道具の彩色を担当するなど、目立たないところでの功績が大である。わがままな夫の陰で苦労しながらも健気に振る舞う良妻というイメージであろう。マサースが団から追放された時でも、モイナは別格に扱われていて、最後まで団員の同情を集めている。
 マサースの死後、モイナはA.O.を率いて魔術結社活動に専念しているが、ダイアン・フォーチュンとの軋轢が原因で後世に「猫使い」の黒魔術師という悪評を残すことになった。
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 まとまった著作は残していないが、「黄金の夜明け」文書という形であちらこちらにモイナの足跡が見受けられる。

1. フォーチュンが雑誌に発表した記事にモイナがクレームをつけたことに端を発し、両者の間で一連の魔術戦が起きたとされている。フォーチュンによれば、モイナが放った黒猫の大群が彼女の事務所を包囲し、また巨大虎猫の幻影に襲われかけたそうである。

略歴

1865年金牛宮、パリにて出生。両親はアイルランド系ユダヤ人。このため英仏二か国語に不自由せず。
1880年、美術を学ぶ決心をしてロンドンのスレード美術学校に入学。以後11年間をロンドンで過ごす。美術学校時代にアニー・ホーニマンと親友となるが、両者の関係はややサッフォー的であった。
1888年初頭、マサースと知り合い、「黄金の夜明け」団参入者の第一号となる。
1890年6月、マサースと結婚。以降、亭主の略歴を参照のこと。
1919年、A.O.の長となる。 1922ー23年、フォーチュンとの抗争が起きるが、モイナ側の証言がないために真相は薮の中。
1928年7月25日、衰弱のためにロンドンの病院で死去。

左はM.ベルグソン・マグレガー名義で描いたエジプト系イラスト。ほぼ自画像と思われる。


主要著作
参考文献 Colquehoun, Ithell: Sword of Wisdom, Neville Spearman, London, 1975.
Greer, Mary K. : Women of the Golden Dawn, Park Street Press, Vermont, 1995.

関連ファイル M.Bergson MacGregor


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