Mudd,
Norman ノーマン・マッド (1889-1934) 魔法名 Omnia Pro Veritate (A∴A∴) ☆ クロウリーの忠実な弟子。獣666のために人生を誤った代表的人物。 マンチェスターの教師の息子として出 生。学業優秀で、特に数学に才能を発揮して、1907年にケンブリッジ大学トリニティー・カレッジに進学。ここでヴィクター・ニューバーグと親交を結ぶ。 魔術に対する興味は在学中に生じ、当時『春秋分点』で大活躍を開始しようとしていたクロウリーに接して、A∴A∴に入団し、獣666と行動をともにするようになる。ニューバーグやマッドに会うためにトリニティーをうろちょろするようになったクロウリーに大学当局は眉をしかめ、紆余曲折の果てにクロウリーのトリニティー立ち入りを禁止している。 魔術に狂ったためにまっとうな学者としての将来を失い、1911年に南アフリカの国立物理研究所に就職。やがてブレムフォンテインのグレイ・ユニヴァーシティー・カレッジの応用数学部教授となる。1915年、淋病が原因で片目の視力を失う。 1920年、クロウリーへの思慕絶ちがたく、旧師を追ってロンドンに戻ってクロウリーが米国に滞在していたことを知る。その足で米国に向かうが、すでにクロウリーはシシリーの《テレマ僧院》にいた。マッドはほぼ地球を半周して、イタリーに向かっている。 《テレマ僧院》閉鎖後、またぞろクロウリーに捨てられたが、マッドはクロウリーの名誉回復を願って、当時クロウリー追討キャンペーンを張っていた『サンデー・エクスプレス』紙の社主ビーヴァーブルック卿相手に公開書簡を自費で印刷して各方面に配布するなど、いじましいほどの忠誠心を見せている。 その後経済的に行き詰まってパリで浮浪者となり、同じくクロウリーに捨てられたリア・ハーシグと私的結婚。その後リアと別れ、消息不明となる。精神に異常をきたした可能性大。 1934年6月16日、チャネル諸島にて投身自殺。 肖像画はクロウリーが描いたものである。 |
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主要著作 | An Open Letter to Lord Beaverbrook, privately, London, 1924.: Neputune
Press, London, n.d.. |
参考文献 | Crowleyana generally |
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