Gardner, Gerald B[rousseau]
ジェラルド・ガードナー
(1884-1964)

魔女名 Scire


☆ 近代魔女術復興の父と称せられる英国人。しばしば GBG と略される。

 1884年6月13日、リヴァプールにて富裕な材木商の三男として出生。幼少時より喘息に苦しみ、転地療養のため乳母とともに毎冬を南仏やカナリア諸島で過ごす。このため、ガードナーは幼稚園にすら通うことなく、独学で読み書きを身につける。
 1900年、16歳で単身セイロンに渡り、紅茶農園で働く。続く23年間にボルネオからマレー半島を転々として、ゴム農園労働に従事。1925年には英領マレー半島の税関職員となり、続いて麻薬取締官。1927年に結婚。
 ボルネオからマレー半島近辺の地理風俗に精通することが出来たため、民俗学と考古学を趣味としてアマチュア研究にいそしむ。彼は生来武具刀剣類に興味を抱いており、マレー半島の刀剣類を研究して、著作も残している。
 1936年、引退して英国に帰還し、余生を趣味の民俗学に費やす予定であったが、1938年に至って魔女術にかかわるようになる。
 上記の記述までは簡単に確認がとれるものであり、誰も異論を唱えないが、以降、ガードナーの“魔女術参入”のきっかけや真偽は現在でも論議の絶えないところである。まず、「正史」を記すと −

 “ハンプシャーのニューフォレスト地区に落ち着いたガードナーは、地元の素人演劇集団「第一英国薔薇十字劇場」First Rosicrucian Theatre in England と交流するようになったが、この劇団はいわば二重構造になっており、中核はオカルト研究グループ「クロトナ友愛会」 Fellowship of Crotona
1 であった。ここのメンバーの数名がニューフォレストに秘密裡に伝わる魔女グループの人間で、ガードナーを失われた密儀“魔女宗”に参入させたのである。彼に、いわば、魔女的洗礼を施したのはドロシー・クラッターバック Drothy Clutterbuck 2 という老婆であった。
 ガードナーは魔女グループに入って幸福な日々を送っていたが、二次大戦中、ヒトラーの英国侵入を防ぐ目的の術を集団で行ってから、グループの主要メンバーが次々に亡くなり、伝統の灯が消えそうになった。そこでガードナーは他のメンバーを説き伏せて、魔女の密儀を出版することで消失を回避し、かつ魔女術に興味を持つ若い人間を集めることを承諾させる。このようにして伝統ある魔女の術と宗がガードナーの手によって世に発表され、近代魔女術の夜明けとなったのであった。”

 以上の「正史」に対して、「懐疑的見解」は以下の如し −

 “ガードナーが発表した「魔女の密儀」を子細に検討してみると、クロウリーからの引用はあるし、リーランドからのパクリはあるし、到底まともに受け取れるものではない。ガードナーは1920年代に流行したマーガレット・マリーの「魔女宗=古代異教残存物」説に触発されて自己の幻想から具体的な魔女宗を創作したのであって、実在する「第一英国薔薇十字劇場」や「クロトナ友愛会」は話をもっともらしく見せかけるための小道具であり、ドロシー・クラッターバックから先の話はまずもって眉つばものである。そもそもガードナーはそれほど信用出来る人物ではなく、血統妄想がひどい上に学歴詐称
3を平気で行っている。ガードナーを近代魔女術の創始者と考えるのは結構だが、その魔女術が古代より連綿と伝えられてきたなどは論外の話であろう。”

 事の真相は薮の中であるが、現在では「正史」をそのまま受け取るのは極度のガードナー信奉者だけである。

 ともあれ、ガードナーは1949年に High Magic's Aid という魔女小説を発表、1954年に Witchcraft Today を著して「古き宗教」としての魔女術の復活を唱える。1951年に英国の「魔女取り締まり法」が廃止されており、目新しさも手伝って、ガードナーの新宗教は順調に成長している。
 ガードナーはその個人的趣味としてヌーディストであり、また加虐被虐性変態性欲の持ち主であったため、彼の魔女宗の儀式にもその傾向が顕著に現れ、裸体・鞭打ち等が主要な役割を果たしている。ここらが英国にて人気を博した理由の一つとも考えられる。彼の下には様々な人間が集まり、一時は全英に会員50,000人を数えたと言われる。
 その後、著述と魔女宗組織整備に精を出し、1964年2月12日、転地療養としてレバノンに向かう船中にて死去。

 ガードナーの残した魔女宗は高弟たちに引き継がれ、現在でも存続している。高弟の代表格はドリーン・ヴァリアンテパトリシア・クラウザー、モニク・ウィルソン等である。

1. アニー・ベザントの娘であるメイベル・ベザント・スコット Mabel Besant-Scot が創始したもので、神智学系薔薇十字団の亜流の一つ。指導者は“Brother Aurelius”本名 G.A.サリヴァン Sullivan という俳優であった。
2. See, Valiente, “The Search for Old Drothy",in The Witches' Way by Janet and Stewart Farrar (London: Robert Hale, 1984.) pp.283-93.ガードナーの直弟子であるドリーン・ヴァリアンテによれば、確かにクラッターバックという老婦人が当時ハンプシャーに実在していたという。
3. ガードナー「正史」によれば、彼はシンガポール大学から名誉博士号を授与されたことになっているが、同大学にはその記録がない。また、年毎に所持する学位に関して異なる記述をしているため、彼の学歴詐称はほぼ定説となっている。

主要著作 High Magic's Aid, Michael Houghton, London, 1949.
Witchcraft Today, Rider, London, 1954.
The Meaning of Witchcraft, Aquarian, London, 1959.


参考文献 Bracelin, J.L.: Gerald Gardner: Witch, Octagon Press, London. 1960.


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