Nagasawa, Kanaye 長澤鼎 (1852-1934) 本名、磯永彦輔。慶応元年の薩摩藩秘密留学生の一人にしてトマス・レイク・ハリスの弟子。もっとも数奇な運命をたどった明治人の一人。写真の前列右端が12歳当時の長澤。 天文方の家に生まれ、幼少時より学術優秀と評判を博す。生麦事件から薩英戦争をへて薩摩と英国が手を結んだ結果、薩摩から英国に秘密留学生が送られる際、、若干12歳ながら選抜される。秘密留学生ゆえにこのときから長澤鼎という偽名を用い、それが一生の通名となっている。 1865年3月、トマス・グラバーの手引きにて蒸気船で日本を密出国、香港、ボンベイを経由してスエズ上陸、陸路でアレクサンドリアに向かい、地中海を抜けて5月末に英国に到着。 他の留学生はロンドンのユニヴァーシティー・コレッジに入学するも、長澤はあまりに年少ということでスコットランドはアバディーンのグラマースクールに送られ、グラバーの兄の家に下宿しつつ英語を学ぶ。記録によれば学業きわめて優秀だったとのこと。 1867年7月、おそらくはローレンス・オリファントの仲介で他の留学生5名とともに渡米し、ハリスの共同体の一員となる。ニューヨークはブルックリンにてワイン醸造を学び、1875年には共同体とともにカリフォルニア州サンタローザに移住。この頃から「ハリスの弟子に日本人がいる」との記述が各所に見られるようになる。 共同体における長澤の役割等はいまひとつ不明。他の留学生は数年でハリスを見限って帰国するが、長澤はそのままとどまる。ハリスの死後、サンタローザのワイナリーを継承して事業を拡大し、「カリフォルニアのワイン王」「葡萄王」と称される。 1934年3月1日、死去。 現在、サンタローザのワイン博物館に記念コーナーが設置されている模様。 |
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主要著作 | |
参考文献 | 芳即正『薩摩人とヨーロッパ』著作社、昭和57年。 森重孝『薩摩医人群像』春苑堂書店、昭和51年。 大塚孝明『薩摩藩英国留学生』、中公新書、昭和49年。 |
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