de Steiger, Isabelle(nee, Juliette Lace)
イザベル・ド・スタイガー 
(1836-1927)

魔法名 Alta Peto (5=6, G.D.)
"I seek the high thing"

☆ 「黄金の夜明け」団アメン・ラーテンプルのメンバー。英国のオカルト運動の殆どにかかわった女性。初期の心霊術に始まり、神智学協会、「黄金の夜明け」団、人智学協会とオカルト遍歴を続けて91歳で天寿をまっとうする。数冊の著書と翻訳書を残す。

 1836年2月28日、リヴァプールの裕福な家庭に出生。両親ともイザベルが15歳になる以前に死去しているが、生活には困ることなく、音楽や絵画を私的に学びながら成長し、25歳の春、スイスの名門
1スタイガー家の一員で、リヴァプールで貿易商を営んでいたルドルフ・アドルフ・フォン・スタイガー・フォン・リゲスベルグと知り合い、結婚する。
 1871年、 夫の死去により、リヴァプールを出てロンドンに移住。1874年にはスレード美術学校に籍を置いて本格的に絵画を学び、一応、画家の名をなす。この時期から心霊術に興味を覚え、数々の交霊会に顔を出すようになる。もはや世間では画家としてよりも心霊主義者として通るようになった。

 スタイガーの交友範囲は幅広いものであるが、特にメアリー・アン・アトウッドとの交際が注目される。その他、アンナ・キングスフォードとも親しく交わる。英国の心霊主義者たちが集まって British National Association of the Spiritualists, B.N.A.S.を結成し、この中から神智学協会英国ロッジがキングスフォードの音頭で組織され、ブラヴァッキー英国到着後にキングスフォードがヘルメス協会を創立して独立する − スタイガーはこれらの過程をすべて目撃した貴重な証人である。

 スタイガーの「黄金の夜明け」団参入は1888年10月、 ブラドフォードのホルステンプルに於いてであり、この地で3=8に達している。彼女のセカンド・オーダー昇進は、いまだ正確な記録が発見されてないため定かではないが、1890年前後ではないかと思われる。その後、エジンバラのアメン・ラーに移籍しており、マサース考案の新5=6儀式による参入は、遅くとも1897年末には行われている。

 スタイガーはその老齢のためか団内ではさほど目立たぬ存在であり、「黄金の夜明け」団とは1901年秋の「ホロス事件」を契機に縁を切っている。その後、人智学を信奉して晩年を過ごす。
 1927年元旦、老衰のため死去。

1. スタイガー家からは1950年代のスイス大統領エドゥアルド・フォン・スタイガーが出ている。

主要著作 On a Gold Basis, Rider, London, no date.
Super-humanity, Elliot Stock, London, no date.
Memorabilia, Rider, London, no date (1927).

Eckartshausen, Karl von,: The Cloud upon the Sanctuary, translated and annoted by Isabelle de Steiger, Rider, London, 1896.
参考文献


目次に戻る