Spare, A[ustin] O[sman] A. O. スペア (1888-1956) 魔法名 Zos ☆ 20世紀初頭に活躍した異色のオカルト画家。独特の魔術体系を考案し、現在でもその信奉者は多い。 1888年12月31日、ロンドンの貧しい警察官の家庭に出生。13歳でステンドグス職人見習いとして働き、夜学にランベス美術学校に通う。ここで画才を示し、ケンジントン王立美術学校への奨学金を得る。彼の才能は大いに認められ、第二のビアズレー、神童との呼び声も高かったが、長じてはオカルトの道を選んだ。 スペアにオカルト的影響を与えた最初の人物は、近所に住んでいた魔女パターソン夫人であった。彼女は自称セイレム魔女の子孫であり、少年スペアに魔術的霊視や四大精霊喚起法を授けている。 クロウリーもまたスペアに多大な影響を及ぼしている。スペアはクロウリーのA.A.のメンバーとなり、機関誌『春秋分点』に多くの挿絵を(恐らくロハで)描いている。 スペアの魔術思想は独特のもので、人間の潜在意識の最深層にはそれまでのあらゆる転生の記憶と特質が刻みこまれていると想定して、これを先祖返り的に追求して「キア」 Kia と呼ばれる根源的ななにかに触れることを目標としている。その先祖返り的手段として彼が採用したのは性的法悦と疑似死によるトランスである。さらに彼はその先祖返り的過程に於いて動物的生命力と超能力が得られると想定して、達成目標を明文化し、かつ簡略化して線形の印となし、潜在意識層に送り込む術も考案している。 スペアは上記の魔術思想を自分の絵画的天才に結び付け、数々の奇怪な絵や象徴を用いて作品を残している。 実生活に於けるスペアは、その魔術耽溺のために美術界から受け入れられず、1927年までは美術雑誌の編集などで糊口を凌いでいたが、以降は世捨て人となっている。時折、個展を開いていたが、経済的には破綻しており、多数の猫たちのみを友として人生を過ごす。 1956年、孤独と貧困の内にロンドンの貧民街で死去。 図版は1950年『ロンドン・ミステリー・マガジン』7号に掲載された顔面図。 |
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主要著作 | Earth Inferno, privately, London, 1905.: Askin, London, 1976. The Book of Satyrs, privately, London, 1907. The Book of Pleasure, privately, London, 1913.: 93 publishing, Montreal, Quebec, 1975. The Focus of Life, Privately, London, 1921.: Askin, London, 1976. The Anathema of Zos, privately, London, 1924. The Collected Works of Austin Osman Spare, Sorcerer's Apprentice, Leeds, 1987. A Book of Automatic Drawings, Catalpa Press, London, 1972. The Witches of Sabbath; Axiomata, Fulgur, Lonodn, 1992. The Book of Ugly Ecstacy, Fulgur, London, 1996. Two Tracts on Cartomancy, Fulgur, London, 1997. From the Inferno to Zos: The Writings and Images of Ausitin Osman Spare, Holmes Pullishing Group, Edmonds, WA, 1993. |
参考文献 | Grant, Kenneth: Images and Oracles of Austin Osman Spare, Muller,
London, 1975 . Drury, Nevill and Skinner, Stephen: The Search for Abraxas, Neville Spearman, London, 1972. Grant, Kenneth & Spare, Austin Osman : Zos Speaks, Fulgur, London, 1999. |
関連ファイル | ある芸術家の謎 貴重スペア記事 |
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