Bennett, Allan アラン・ベネット (1872-1923) 魔法名 Voco (0=0, G.D.) Iehi Aour (5=6, G.D.) 法名 Swami Maitrananda Ananda Metteya ☆ 「黄金の夜明け」団でも異彩を放つ 魔術師。後に仏教徒と化し、英国仏教協会の創立者となる。クロウリーに深く影響を及ぼした人物として最重要視される。 1872年12月8日、ロンドンのローマ・カトリックの家庭に出生。父親は技師であったが、すぐに死去してしまい、寡婦の母のもとで赤貧を洗うだけ洗う少年時代をおくる。生来病弱で、常に喘息に悩まされる生活を続け、発作を押さえるために阿片、モルヒネ、コカイン、クロロホルム等の鎮痛剤の常用を余儀なくされており、ゆえにずたずたの肉体はさらにずたずたになっている。 ベネットの学歴は定かではないが、グラマースクールを卒業後、すぐにどこかの化学研究所の就職している。ここで彼はたたきあげの分析化学者になるべく研鑽をつんでいる。同時に電気方面の研究も重ねたらしく、このあたりが後に彼の職業を「電気技師」とする記述が多い所以であろう ベネットの「黄金の夜明け」団参入は1894年2月、神智学協会経由のものと思われる。セカンド・オーダー昇進は1895年5月のことであり、以降約5年間、魔術修行に精を出している。ベネットの団内での立場は親マサース派であったが、その恐るべき魔術的実力のためか1、他の団員のマサースに対する反感を代わりに受けることはなかったようである。 1899年春、クロウリーは「黄金の夜明け」団の儀式場の於いてベネットと出会い、たちまち敬服してベネットに弟子入り、師匠を自宅に招いて魔術の指導を受けている。それから約一年間、二名は魔術のみならず、各種幻覚剤やヨガまで研究対象にしている。 1900年初頭、ベネットの容態がいよいよ悪化の一途をたどったため、友人であるクロウリーが全額負担で、ベネットを転地療養のためセイロンに送り出している。ベネットの「黄金の夜明け」キャリアはこの時点で終了している。 セイロンに於けるベネットの生活の詳細はつまびらかではないが、セイロンの検事総長P.ラマナタンの子供たちの家庭教師となって、同時にラマナタンからヨガを学んでいる。1902年にビルマに移住して僧院に身を投じ、さらに修行を積んだようである。 後年、1908年に英国に一時帰国しており、神智学協会の支部として仏教ロッジを創立、これが独立して現行の英国仏教協会になった。1914年以降は、ずっと英国に滞在し、英国仏教協会会報の編集等に携わる。 1923年、再び体調を崩し、東洋に帰還しようとするが果たせず、3月9日、リバプールにて死去。 1. 「彼[ベネット]はよく“ラスター”を持ち歩いていたものである − 長いガラス製のプリズムで、古式ゆかしいシャンデリアに飾られているような、くびれと先の尖った握り手のついてるあれだ。彼はこれを魔術の棒として使っていた。ある日、一団の神智学信徒が“人の五感を奪う魔法の棒”[blasting rod]の効力を疑わしげに話し合っていた。ベネットはおもむろに自分の棒を取り出して、連中の一人を打ったのである。打たれた不信心者が心身ともに回復するのに14時間かかった」 Aleister Crowley, The Confessions of Aleister Crowley (London: RKP, 1979)、p. 180. |
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主要著作 |
“A Note on Genesis", The Equinox (London/New York), vol.1.
no.2. (1909/1974), pp. 163-185. “The Training of the Mind", The Equinox (London/New York), vol.1. no.2. (1909/1974), pp. 28-59. The Wisdom of the Aryas, London, 1913. The Religion of Burma, Theosophical Publishing House, Adyar, 1929. |
参考文献 | Crowley, Aleister, The Confessions of Aleister Crowley, RKP, London, 1979. Harris, Elizabeth J., Ananda Metteyya, The First British Emissary of Buddhism, Buddhist Publication Society, Kandy, Sri Lanka, 1998. ※その他「黄金の夜明け」団及びクロウリー関係の文献を参考せよ。 |
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