The Hanged Man 吊られた男

From Heaven within the Spirit guides
The Soul on earth made blind by Light,
It's will in love It over-rides,
And of all Beauty gives it sight.

霊は内なる天より
地にありて光に盲しいし魂を導く
霊が越権をなすは愛の意思なり、
そしてすべての美の光景を与えん。




 本来タロット化を目的として作成されていない絵画群からアルカナを選ぶ際、もっとも困難を極めるのが「吊られた男」の選定である。そうそう都合よく人物が逆さ吊りになっているわけもなく、苦し紛れに適当な人物像を天地逆にして印刷するしかない。ホートンの場合、今のところ完全な逆さ吊りの人物像は発見されておらず、ゆえに「紐つきの人物」という点に着目してこの図をチョイスしている。

 内なる天の「霊」に操られる「魂」という構図である。同様のものとしては、左にあるロバート・フラッドの「ふたつの宇宙図」所載イラストがあげられる。テトラグラマトンが自然の女神の右手を操り、女神は左手で地上の猿を操っている。ちんたらしたリモコンゆえに神意が地上に反映されるのに時間もかかれば正確性にも欠ける。ホートンの場合、神意は「内なるキリスト」からダイレクトに伝達されることになっている。

 RWS版の「吊られた男」を考察してみると、若い男性が逆さ吊りにされてはいるが、その顔は聖なる光に包まれている。ウェイトの解説によれば、「このカードに関してわたしが簡潔に述べるとすれば、これはある局面における「神聖なるもの」と「宇宙」のあいだにある関連を表しているのである」とのこと。逆さ吊りという状況を「逆転の発想」と捉えれば、注意を内側に向けることで内的神聖と宇宙の関わりを悟れという教えとなろうか。そう考えればホートンの件のイラストを「吊られた男」とすることにそれなりの根拠も見出せようというものである。






 そもそも「吊られた男」とは図像学的にどういう存在であるのか。小生もずいぶんとあれこれ考えてきたが、最近はやはり聖書起源のイコンではなかろうか、と思っている。候補として現在注目しているのはエステル記に登場するハマンとその子供たちである。簡単にいうと、義人モルデカイとその娘にしてアハシュエロス王の妃エステルを陥れようとした某臣ハマンが、策略がばれて逆に処刑されたという物語である。その処刑の模様が興味深い。日本語訳聖書では「木に掛ける」とされているが、欽定訳では

So they hanged Haman on the gallows that he had prepared for Mordecai. Then was the king's wrath pacified. (Esther vii.10.)

すなわちgallow に hang するという記述になる。そのためか、中世のエステル関連文書に入る装飾頭文字等では、ハマンは実にわかりやすく吊るされてしまうのだ。具体的には左にある通り。上段はアハシュエロス王と妃エステルであるから、これも十分にアルカナの候補といえよう。

吊られた男をキリストを裏切ったユダとする論も十分に説得力を持つが、ユダ説はハマン説とは矛盾しない。すなわち中世キリスト教お得意の「予型論」の登場である。アハシュエロス王を裏切って吊るされたハマンは、キリストを裏切って首を吊ったユダの予型である」となるのだ。

いまだ想像の域を出ないが、ハマンの描写として「大逆罪」をあらわす逆さ吊りもあり得るのでは、と思っている。



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