The Magician 魔術師

Thus saith the Spirit -- "Soul, soul in the robes of Earth
forget thy self, let the Light within thee shine as it listes.
In the crystal of Light and the Halo of Glory thou shalt be
safe. Descend, shine, be strong and fear not"

かくて霊は語る−−「魂よ、大地の衣をまとう魂よ
汝の個我を忘れて汝のなかの光を自由に輝かせよ
光の結晶と栄光の光輪のなかにあれば汝は安全なり。
降下せよ、輝け、強くあれ、恐れるな」



 この絵はホートン著『魂の道』の冒頭を飾る一枚である。四行詩は二頁前に印刷されており、すなわち四行を読んだのちにページをめくると絵が目に入るという構成になっている。四行詩の内容は参入儀式の一節そのものといってよい。「黄金の夜明け」団であれば「大地の子よ、汝は永きにわたり闇に住まいしものなり。夜を捨て、陽を求めよ」が相当する。外部の大いなる「霊」の呼びかけによって「魂」が目覚め、光を放ちながら「降下」する。かれは物質世界に降りて、肉の衣をまとい、旅をすることになる。旅の目的はいずれ明らかになるのである。

 この絵がいかに「魔術師」として適当であるか、たとえば次のような実験もできる。

 「魔術師の右手には天に向けられた棒があり、左手は大地を指差している。この二重サインは体制化された密儀の高位階においてはよく知られている。それが示すものは恩寵と美徳と光の降下である。これらは上の事物から引き出され、また下の事物に由来する」 ウェイト『タロット図解』72p

 上の一節など、棒を剣に変更するだけでホートンの絵を解説しているとしてもなんら違和感はない。わかりにくいのはウェイトのせいであって小生のあずかり知らぬところである。

 そもそも「魔法の原理」のひとつは、タヴァナー博士の言葉を借りるなら「精神は鉱物に於いて昏睡し、植物に於いて睡眠し、動物に於いて夢見、人間に於いて覚醒している」というやつである。大いなる霊の光によって覚醒したわれらの精神は、光を植物や鉱物にも伝導してかれらの精神を起動せしめることが可能とされている。ただしかれらの行動はその物質的形態によって制限されているため、覚醒したからといってすぐに思い通りに動いてくれるわけではない。箒とバケツに魔法をかけて掃除をさせるという発想自体は正しいのである。動かないのが悲しいだけである。

 ならば動物は? ペットに魔法をかけて思い通りに動かせないものか。かくしてわれわれは「使い魔」という命題に遭遇するのである。かつてイエイツは昼寝しているネコを相手に、ネコの目のまえにネズミがいると「想像」して捕獲行動に至らせることに成功したという(これを霊的ネコじゃらしと称する)。犬猫クラスになると明確に自分の意思を所有しているため、術にかけることが人間以上に困難であるといわれている。

 いずれにせよ「クリアになる」ことによって光の伝達率をあげるという発想が大事であろう。



BACK