新生兄弟会 − ある女性会員の手記

1881年5月17日 −−
昨晩はよく眠れませんでしたが、言葉では表現できない不思議な感覚をおぼえました。
目が覚めているとき、胸のなかからなんとも奇妙な音が聞こえました。小さな音でしたが、それが一日中、その場で羽ばたいているような感触です。
小さな翼が動いている、とでもいうような、そうとしかいいようのないものでした。
そしてなにかがわたしに歌い続けるのです。「あなたの胸のなかに愛が巣をつくるであろう」。
こう書いているだけで涙がとまりません。
この話をH氏にすれば、どのような顔で微笑まれるか、いまから想像がつきます。
夜でも朝でも目がさめるたび、私のカウンターパート、と言ってよいのでしょうか、それが体のなかに流れ込んでくるのを感じます。
いまでは日中の心身ともに冷静なとき、いつでもそれがわたしのなかを通っていくのを感じます。
とはいえ、まだ手や足でそれを感じたことはありません。


1881年6月5日 −− 
「呼吸」の件に関する質問をなさいましたね。
ほんとうのところを申し上げますと、それを実際に経験したのか、自分にはわかりかねる部分もございます。
しかしH氏のお言葉では、わたしの経験は本物に間違いないそうです。
ある日、わたしが熱心に『天上の声』を読んでおりますと、なにか恐ろしいことが自分の身に起きたように感じました。
なにがいけないのか、どこがいけないのか、まったくわかりませんでした。
やがて気がつきました。
わたしは呼吸をしていなかったのです。
体がほんとうに弱っている感じでしたが、それでもわたしは立ち上がり、外に出て空気を吸うことができました。
わたしに残された気持ちといえば、神に祈りたいという一心だけでした。
15分か20分ほどのあいだ、自分は死ぬのではないかとほんとうに思いました。
この状態はやがてすぎさり、それ以来わたしの呼吸は以前のものとすっかり変わってしまいました。
幾晩か前、心臓でも同じような経験をいたしました。
「聖なる都」を読んでいると、突然なんの前触れもなく、自分が死に瀕しているような気分に襲われました。
わたしの体のすべてが停止したようでした。
心臓も動かず、呼吸もしていないのです。素晴らしく不思議な感覚でした。
わたしは外気を吸いに出ましたが、状態は変わりません。
数分で血液の循環が回復したように思いますが、すべてが変わってしまいました。
ベッドに入ってからも自分が死にかけているような気分でしたが、やがて眠ってしまいました。
翌朝、眼が覚めてもまだ死の感覚が残っていました。
その日の日中、この感覚は消えていきましたが、新しい循環になれるにはしばらくかかりました。
この件についてはいろいろと知りたいのですが、それは今一度サンタローザに参るまでがまんしなければなりません。

自分のカウンターパートも感じていましたが、なんとも奇妙なものなのでどうお話してよいのやらわかりません。
ある朝、眼が覚めますと、両腕に不思議な感覚をおぼえました。
まるでなにかが流れ込んで腕を満たしたような感じでした。
これまで腕が空っぽのように感じたことはなかったのですが、こんないっぱいになったような感覚をおぼえたこともなかったのです。
なにがなんだかわかりませんでしたが、「これがあなたのカウンターパートだ」と語りかけているような気がしました。
それ以来、この感覚が徐々に全身に広がっていくようです。
これがなんなのか、H氏に質問してみました。
氏はわたしをご覧になり、笑いながらおっしゃいました。「教えてあげないよ。それが語るままにまかせない」。
とはいえその後、氏が教えてくださいました。
わたしのカウンタパートは四歳で死亡したのだそうです。

 これは一番楽しい感覚でしたが、数日間にわたり十分すぎるほど経験していると、ほんとうに疲労困憊してしまい、時々もう耐えられないという気分になりました。
わたしはそれまで身体の感覚を意識するということがなかったのですが、すべて変わってしまいました。
かつては寝てしまうと一晩中、夜明けまで眠ったものでしたが、いまでは落ち着きがなく、何度か目を覚まし、朝になると疲れが残っていて、体が休まるまで数時間かかります。
順番が逆になっているのです。
夜に疲れてしまい、日中にいくらか休みをとるという感じです。
それでも完全に休まることがなく、いつも疲れています。見る夢も恐ろしいものです。
ときにものすごい悪臭を伴います。
H氏のお話では、何者かがわたしを侵食しているのだそうで、わたしはそれに対して積極的に立ち向かわねばならないとのこと。

 H氏のお話では、この世界の人間はみなすでに死にはじめていて、人類全体が昏睡状態に陥りかけているのだそうです。
わたしもまた、生気を失っていない、あるいは失いかけていない人間にはひとりとして会ったことがありません。
とりあえず義務だけは果たしはしますが、それ以上のことは「なんの役に立つ?」と捨て台詞を吐き、ただ適当にこなしている人たちばかりです。
みんなただ惰眠をむさぼり、なんであれ以前ほど気にしなくなっています。
イングランドでも同じ状況なのか、それはわかりませんが、アメリカではみんなこうです。
過去数ヶ月間、わたしは以前にくらべてなにもできなくなっている自分に気がついていました。
なにか努力をしようと、そういう気にさせるエネルギーすら残っていません。

 1881年6月6日 −−
 今朝、また不思議な経験をしました。
なんといいますか、自分が溶けてばらばらになって、ふたたび集められてなにか別のものになるような、そんな感覚でした。
それは素晴らしくて、わたしが思うどんなものにも似ていませんでした。完璧なエクスタシー、というのが一番近いでしょうか。
他の誰かになるというのはどんな感じだろうとよく思ったものでしたが、わたしには想像すらつかなかったのです。
ばらばらになるという感覚はとても奇妙です。同時に自分の体のすべての粒子がそれぞれ密接させられるような感じでした。


解説 : ここに部分訳出しているものは、「ある婦人会員の書簡」、「新生シスターの手紙」等の表題のもと、新生兄弟会にて回覧され、筆写されてきた内部文書である。数種類の写本が確認されており、会員たちの刊行物に部分引用されるなど、資料としての価値はきわめて高い。1881年、ローレンス・オリファントの兄弟会離反以降、兄弟会にあってそれまで観念的存在であった相対天使カウンターパートがより身体感覚をともなう性愛体験へと移行していくさまがうかがえる。訳出にあたってはシュナイダー&ロートン著『預言者と巡礼』(1942)のアペンディクスにあるテクストを底本としている。


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