正しい性魔術
How to Become a Sex Magician
( and rule the world )



  佐賀県神崎郡の某村に神社がありまして、13年に1回という不思議なペースでお祭りを行うのですわ。どんなお祭りかというと、張りぼてで出来たきわめて写実主義的な男性性器全長7メートルというのを男衆で担いでおらおらおらと村中を練り歩く。それを女衆がきゃーきゃー言いながら囃し立てるという、日本はどこでコンピュータを製造しているのだろうと考え込んでしまうようなお祭りですわ。

 いわゆる豊饒儀礼としての生殖器崇拝、および儀式的性交というものは、西洋では痕跡程度しか発見されないのでありますが、わが日本国ではばりばりの現役として存続しておるのです。

 初春の奈良にお出かけの節は、是非とも明日香村にある飛鳥巫神社にお参りしましょう。2月の第1日曜に、「グレート・ライト」が行われるのです。

 舞台は拝殿、天狗の面をつけた男とお多福の面をつけた女が、神主の前で儀式的性交を行います。それを見守る群衆およそ5000人。

 ひとしきり終わりますと、天狗とお多福はふところから懐紙をとりだし、それぞれ股間をぬぐう。その紙を境内にばらまくと、群衆がそれっとばかりに押し寄せてきて奪い合うという、実に由緒正しいお祭りなんです。なんでもかるく1500年は続いているそうで。

 さて、今回は「公開性」ということを考えてみたいわけですな。

 農耕系魔術の基本コンセプトは、自然の諸力を擬人化/神格化し、これと交渉を行うことで豊年満作を確実化することにあるわけで。春先はだいたいセックスがらみの祭儀、秋口は生贄がらみの祭儀となっております。

 そもそも農耕系魔術の一大特徴として、過剰な責任感というやつがあります。術者が責任のとりようのない事柄に責任を取る、あるいは誰かに取らせようとする。

 有名な事例としては、アフリカかニューギニアか忘れたけど、どこぞの部族の呪術師が「夜明けに責任を持っている」のだそうで。すなわち太陽を呼び出す呪文というのが代々伝わっていて、呪術師が早起きしてその呪文を唱えないと夜が明けず、世界が滅びるんだとのこと。で、世界の命運を一身に背負った呪術師が、崇高な使命感とともに毎朝早起きしているらしいです。

 この事例を笑ってはいけませんぞ。少なくとも、「すべての人類の罪悪を一身に背負って十字架にかかった神の子」なるファンタジーを信奉するのと大差ない。

 でもって春先の性交儀式ですが、コンセプトは結局「村落共同体を代表してセックスする」というものですわ。そして、みんなを代表して行う行為は、それがなにであれ、「公開」しないと無意味なのです。

 イエス・キリストはゴルゴダの丘で公開処刑されたればこそ意味があったわけで、こそっと謀殺されていたらそれっきりですわ。

 性魔術関連で一番でかくぶちあげたのはダイアン・フォーチュンですな。『海の女司祭』を見ればお分かりのように、あれは「全人類を代表してセックスする」という壮絶なコンセプトを有しておるのです。

 それはそれで構わないんですが、英国の田舎町の片隅でごそごそなにやら行って、あげくに「人類を代表した」と言われても困る。ここはひとつ、衛星生中継で世界に公開してもらいたいものです。もっとも1930年代には世界公開の手段が限られておりましたな。

 あとはスケールアップですな。「全宇宙を代表してセックスする」!

 現在、衛星軌道上でハッブル宇宙望遠鏡が深宇宙を覗いては星の誕生だの銀河の衝突だの星の死亡だのを報告してくれます。あれこそは、見ようによれば「星のセックス」を覗き見しているわけで、善男善女は有り難がるのが筋でしょう。

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