宗教画に見るお笑い精神とレジナルド・スコット


 おおげさなタイトルで始まっておりますが、ようするに宗教的熱情とヴィジョンがファンタジーを通り越してコメディーに至ってしまった実例をもとに、レジナルド・スコット(その高潔なる魂に幸いあれ)を考えてみようという一文です。

 賢明なる読者におかれましては、ドミニコ会が最初に出した殉教者である殉教者聖ペテロ(1205-1252) をご存知かと思います。もとはカタリ派の家に生まれたものの、ボローニャ大学在学中に聖ドミニクに接して改宗。叙階後はドミニコ会の俊英として布教や修道院運営に辣腕をふるい、とりわけ古巣のカタリ派を対象とする異端審問と改宗活動に積極的に取り組む。1252年、旅の途中に暗殺者に襲撃され、鉈ないし斧による頭部損傷および短刀による胸部刺傷のため死亡。1253年、列聖。

 殉教者聖ペテロはドミニコ会のシンボル的存在でありまして、頭部流血および凶器描写が作画上の約束となっております。

 この聖人の描写が次第にお笑いになっていくのであります。次に挙げるものはフィリッポ・リッピの「聖母子および聖アンナと諸聖人の図」(1432)ですが、諸聖人は子供に見たてられています。頭に鉈がささっているのが殉教者聖ペテロ、横で百合をもっているのが聖ドミニクです


 いかに作画上の約束とはいえ、フラ・アンジェリコなどは頭部からの流血と背中に突き立つ短剣のみですませ、笑いを取ろうとはしていないのです。はたしてリッピが笑いを目的としたか否か、このあたりは少し判断が難しいわけですが、なにせかれは情熱の人でもあります(後年、修道士でありながら尼僧と駆け落ちして還俗)。

 これがロレンツォ・ロット(1480-1557)の『聖会話』(1507)ともなると明らかに笑いを狙っておるわけで、タッチが真剣なぶんだけ効果が大です。

 青空をバックに頭に突き刺さる山刀が強烈そのもの。16世紀初頭にはすでに聖人伝説をおちょくる傾向が存在したと思われるのですな。

 そしてレジナルド・スコットの時代ともなれば、コンジャラたちが好き放題を行っておったようですし、案外コンジャラたちの大道芸が上記二枚の宗教画に影響を与えておったのではないかと思われるのです。


 上の図はスコットが紹介する「バプテスマの聖ヨハネのしゃべる生首の図」です。コンジャラたちが行う見世物のトリックを解説しているわけでして、このような子供だましで堂々と営業を打てた古き良き日々が羨ましいというべきか。さらにスコットは多くの手品の種明かしをしてみせるのですが、そのなかに「頭や腕に突き刺さるナイフ」とその図版があります。下図参照。


 真中のナイフが「見せ」ナイフで、左右の二本がトリックナイフです。少量のワインや血を浸した綿を隠し持って、いかにも刺さっているかの如く演技するのですわ。現在でも見られるこの芸ですが、前出のリッピやロットといった画家たちの時代にも行われていたはずですし、かれらが描いた殉教者聖ペテロの頭に刺さる刃物の感じは、実にもってトリックナイフの趣きが濃いと申せましょう。




 この稿はあまり魔術とは関係がないように思われるでしょうが、さにあらず。小生はこう考えています。中世からルネサンスにかけて、コンジャラたちがトリックを用いて聖書の奇蹟を再現することにより、「できること」と「できないこと」、「説明がつくこと」と「説明がつかないこと」がはっきりしてきたのでしょう。それまで教会的権威によって「奇蹟」とされてきた事象の数々が、実はトリックによって再現可能であると判明する。その際に不可避的に発生する「笑い」こそ叡智の賛歌であり、ユアリーカであったわけですな。そしてトリックを追求していくうちに、やがては人間の錯覚を利用する分野に踏み込み、果ては幻覚の領域へと至るのでありましょう。

 ここで定義を行いたいと思います。コンジャリングとは「手段を問わずに不思議な現象を起こす術」である。

 ややとりとめなく。



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