ふたりのパメラとひとりのコリンヌ、そしてコリンヌ・パメラのこと

パメラ・コールマン・スミス(1878−1951)の母方の祖母はパメラ・チャンドラー・コールマンという。
1799年4月18日、メーン州フリーポートにて出生、1865年11月18日ニューヨーク市ブルックリンにて死去。
「ミセス・コールマン」名義で多数の児童書を執筆また編纂し、19世紀中頃の米国児童文学に確固たる足跡を残している。
出版業者でもあった夫サミュエル・コールマン(1799-1865)との間に娘をふたりもうけており、長女はパメラ・アトキンス・コールマン(1825-1900)。「ミス・コールマン」名義で母親が編纂する児童書に執筆参加することも多く、両者が混同されている記述もある。そして次女がコリンヌ・コールマン(1840-1896)すなわちパメラ・コールマン・スミス(以下PCS)の母親である。

生年からわかるように、パメラ・アトキンスとコリンヌの年齢差は実に15歳。どうもコリンヌはミセス・コールマンにとって無条件溺愛の対象となったらしく、次女が長ずるにつれ『コリンヌのための物語』を出版し、その愛らしさを歌った詩「コリンヌ」を収録する親バカぶり。さらにタイトルを変えた後年のエディションでは堂々のポートレイト収録である。

すなわちここにみる少女、これがわれわれのPCS,パメラ・コールマン・スミスの母親の幼い日の姿である。(ちなみにPCSもフルネームはコリンヌ・パメラ・コールマン・スミスであった。この一族の女性はパメラとコリンヌばかりなのでややこしいことこのうえない)。

さて筆者がなぜここまでPCSの祖母や母にこだわるかというと、PCSの人種的アイデンティティーという問題がこれまでも取りざたされているからである。ありていにいってしまえば、PCSはおよそ白人とは言いがたい風貌を有していた。フランク・ジェンセンの言葉を借りるなら「アメリカの白人夫婦からパメラのような顔つきの子供が生まれるというのはかなり尋常ではないといえよう。彼女は東洋系、黒人、日本人ないし混血と描写されてきたからである」。これまで提唱された説は、婚外子説、、コリンヌ・コールマンをジャマイカ人とする説、あるいは養子説等だが、コリンヌを西インド諸島系ブラックとする説は左に見る肖像画ひとつで否定できるだろう。他の説に関しては筆者の手元にある資料では判断が難しい。PCS本人は自分の風貌を東洋系とみなしており、中国娘風の自虐的カリカチュアをいくつも残している。

ともあれ婚外子にせよ養子にせよ、PCS本人が母方のコールマン一族を誇りに思っていたことは間違いないのである。祖母や叔母が行っていた児童書の執筆と出版はPCSも大いに希望してやまなかった分野であった。1902年頃に彼女が温めていた企画にボバルド夫人作「リトル・チャールズ」という自然科学系啓蒙児童書の出版がある。PCSはこの書物に添付するイラストを担当したかったのだが、そこには常に子供時代の自画像といってよい「パメラ・プリティジョン」が脇役として描かれている。

20世紀初頭の英国社会における東洋系米国人女性の立場がいかなるものであったのか、それを推測するのは難しい。しかしPCS作品に通底する疎外感、それを隠蔽するかのような人懐こさを考える際、これは避けて通れないトピックであろう。


BACK