魔法のギルド

理論的帰結としての魔術組織の存在

 おおげさなタイトルで始めておりますが、内容はごく常識的なものであります。

 すなわち16世紀あたりの英国および欧州には興行組織としての「魔法のギルド」が存在したのではないかと考えておるのです。この場合の「魔法」とは、現在われわれが知るGDやマルタン派のそれではなく、こういう表現が適切かどうかは知りませんが「総合魔法」、手品とイリュージョンと占いと口寄せが渾然一体となった代物のことです。とりあえずこの状態をコンジャリング conjuring と称します.

 この方面を稼業として世渡りをしようと思えば、結局はなんらかの連絡および調整機関が必要となるわけですな。たとえば芸人さんが正月に三河漫才で稼ごうと考える。でもって板橋区のあたりを流そうとする場合、同業者に先行されたら大変なことになる。角付けされる家にしてみれば、三河漫才など一回くればいいわけで、同じ地区に何組も漫才師が入っても無意味どころか迷惑なわけです。そこでこの種の芸人さんの場合、みんなで寄り合って組合を作り、地区割りをしてバッティングを回避する。さらに芸人として稼ぎたければこの組合に入ることが必須となる。組合に入らずに勝手に稼ごうものなら簀巻きにして川に放りこむという仕儀に至るわけです。


 早い話、わが国のテキ屋さんとその連合会。その欧州魔術ヴァージョンがあったに違いないと推測しておるのです。

 上の図はご存知ボッシュの「コンジャラー」図です。ここに描かれる手品はレジナルド・スコットが描くものとほぼ同種であり、さらにスコットはコンジャラーが悪魔召喚を行うと記述します。この種の稼業の営業形態を考えれば、ギルドを組織して各種トラブルを回避するしかないでしょう。そして悪魔召喚もかれらの演目であり、ギルドに届け出ないし許可を貰ってから実行すると考えられる。

 すなわち小生の推測によれば、たとえば「大奥義書」のルキフグ・ロフォカル召喚を行いたいコンジャラーは、まずコンジャリング・ギルドに申し込む。ギルドのほうでは最近の実践例や地域、さらに魔術師の技量を考慮してOKを出すか否かを決める。OKを貰った魔術師はギルドに上納金を払って、奥義書や道具立て、さらにサクラ用人員を貸してもらい、営業に及ぶのですな。無論、営業が終われば奥義書その他はギルドに返却する。ちなみに「大奥義書」には各種呪文や道具立てのほかに、呼び出される悪魔ルキフグ・ロフォカルの台詞が記されています。術者の呼びかけのみならず、悪魔の答えまでが書いてあるわけで、すなわちこれは明らかに「台本」なのです。

 あるいは「黒雌鳥」に記される魔法の指輪も、ようするに縁日で売る魔法の指輪のカタログおよびタンカバイのマニュアルと考えればわかりやすい。コンジャリング・ギルドはこの種の物品の製作や卸しも行っていたのでしょう。

 中世的稼業の常として、あらゆる分野にマイスター(親方)がいて、そこにアプレンティス(弟子)が入り、技量を磨いて独り立ちし、ギルドに入る。コンジャラーの業界も同様であったと考えれられますわ。そしてギルド入会には必ず儀式すなわちイニシエーションがあり、それを経て一人前となる。イニシエーションを得ていない人間が召喚儀式を行うと悪魔に殺されるといった言い伝えは、このあたりが起源ではないかと思っております。平たくいえば、素人が縁日に勝手に露店を出そうものなら地回りの若い衆に袋叩きにされるのと同じ、ということで。

 中世からルネサンスにかけて、このコンジャラーたちは徐々に専門化、細分化されていき、手品、占い、民間療法、詐欺、見世物といった具合に変化していったのでしょう。悪魔召喚は見世物としてフリーク・ショウになり、あるいはお化け屋敷になったものと考えられます。

 この種のコンジャラーと現在われわれが知る西洋秘教伝統がいかなる関係にあるのか、それはまた別の機会に。



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