ウェイト・スミス・タロットの風景

1.クヌーツフォードの“ロイヤル”メイデイ



GOING A-MAYING



5月1日のメイデイといえばヨーロッパ全域で行われる春祭りです。

 英国でも昔から行われてきましたが、清教徒革命の頃に迷信蛮習として廃止され、以降ロンドン等の大都市圏では見られなくなったそうです。祭り自体は農村部で命脈をつないでおり、ふたたび世間の注目を集めるようになったのはヴィクトリア朝中期以降、具体的には1877年、チェシャのクヌーツフォードで行われたメイデイにエドワード皇太子、皇太子妃両殿下のご臨席を賜り、これを記念して“ロイヤル”メイデイと呼称するようになってからでしょう。

 ロンドンでも美学者ジョン・ラスキンの肝煎りでホワイトランズ女子高等師範学校にてメイ・クイーン選びが行われ、事実上の美少女コンテストとして他校でも実施されるようになりました。
 クヌーツフォードで行われるメイデイはメイポールからして大規模です。メイポールといえば一本柱から多数のリボンがさがる構造が一般的ですが、クヌートフォードのそれは中央ポールの周囲に8本のポールを立て、中央ポールから各周縁ポールに花飾りをしたロープを垂らし、周縁ポール同士も花飾りでつなぎます。その下で少女たちがダンスを行うという趣向です。この模様を描いたイラストとしては、前出のラスキンに可愛がられていたケイト・グリーナウェイの「アルマナック1891」扉絵が有名でしょうか。


 1903年にはクヌーツフォードのメイデイが当時のマスコミに大々的に取り上げられ、婦人向け雑誌等の紙面を飾っています。以下は『レディーズ・レルム』1903年5月号にあった写真です。

1902−3年のロイヤル・メイクイーンに選ばれたジュリア・ラグビー嬢(12)。クヌーツフォードメイデイ実行委員会の選出による。選出基準はクヌーツフォード出身の少女にして以前のメイデイでクイーンの侍女役を務めた経験があり、一定の年齢に達していること。以上の基準を満たしたうえで容姿端麗、品行方正、クイーンの名にふさわしい気品を備えていなければならない。

1902年5月1日に行われたロイヤル・メイクイーンの戴冠式。周囲の家来や侍女たちもクヌーツフォードの子供たちがつとめる。中央天幕内にジュリア・ラグビー嬢、前方芝生上に宝冠を捧げ持ちひざまづく少年。



メイポールの周囲にて行われる少女たちによるモリスダンス。

 それから6年後、ウィリアム・ライダー社がアーサー・エドワード・ウェイト監修、パメラ・コールマン・スミス作画にて世に送り出したタロットカードの「棒の4」がこうなるわけです。

 ちなみに前出の『レディーズ・レルム』1903年5月号には、パメラ・コールマン・スミスが描いたエレン・テリーのイラストが収録されています。同号に載っていたクヌーツフォードのロイヤル・メイデイの記事をPCSも読んでいたと想定しても問題はないでしょう。

 すなわちウェイト・スミス・タロットの棒の4に描かれた風景は、英国はチェシャのクヌーツフォードのロイヤル・メイデイの一場面であると考えられる。いささか雑ながら、話のもっていきかたはご理解いただけるか、と。

 パメラ・コールマン・スミスはWSタロットの小アルカナ製作にあたって、いわゆるソーラ・ブスカ版タロットを構図に取り入れるなど、かなりの部分を既存のイメージに依存しています。自分が描いたイメージのリサイクル(例:剣の4)もあれば、写真のトレースではないかと思われるものもあり、興味の尽きないところでありましょう。それはWSタロットの弱点ではなく、むしろ有利に働く部分ではなかったか。WSタロットの人気の秘密は、漠然とした既視感にあったのではなかろうか。その既視感のソースを突き止めることで、WSタロットの各札に新たな意味を付加しよう、というのがシリーズ「ウェイト・スミス・タロットの風景」の企図するところであります。

 GD文書の「Tの書」にある意味、ウェイトの『図解』に記された意味に加え、PCSの作画から生じた意味を決定しようという試みです。棒の4は比較的わかりやすいので第一回目に取り上げてみました。

PCS的意味: メイデイ、祝祭、5月1日。




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