居住環境
わたしはノッチングヒル地区にフラットを借りた。ポートベロ・ロードの中心から2ブロック入った場所だ。週70ポンドはきついが、やむをえまい。毎週土曜日になるとポートベロではアンティーク・マーケットが開かれる。ほぼガラクタばかりだが、なかには掘り出し物もあるという。古いタロットでもあれば購入したい。
ここからウォーバーグに通うとなると、ノッチングヒル駅まで歩いてセントラル・ラインに乗り、トテナム・コート・ロード駅で下車。そのまま大英博物館横を通っていくのが一番となる。途中にはアトランティス書店もあるから好都合だ。
大英博物館横の通りはガウアー・ストリートである。ここの76番地は昔スタンリー・ホテルといって、日本帝国海軍の定宿だったところだ。
ロンドンに到着したばかりの漱石も、一旦ここに落ち着いている。ちなみに20ヤードほど離れた場所が99番地、ホロス夫妻がいんちき教団「神権会」を開いていた場所である。漱石が宿泊していた同時期、ホロス夫妻はいまだ逮捕されておらず、99番地で営業していた。漱石がホロス夫妻と路上ですれちがった可能性もある。
アトランティス書店に関しては改めて話をしたい。この書店を攻略・落城させることも今回の主目的のひとつである。
知の第三極
英国では知性はつねにケンブリッジとオクスフォードの占有物であった。この二大巨塔がそそり立つなか、第三極として1826年に創立されたのがユニヴァーシティー・コレッジすなわちロンドン大学である。基本的には非英国国教会教徒ゆえにオックスブリッジから締め出された学生のために有志が創立したもので、ゆえに宗教的寛容が学是となっている。
無論、オックスブリッジからは一段も二段も格下と見なされたが、ヴィクトリア朝繁栄の中核的原動力である中産階級に実利的大学教育を与えた点で、功績比類なしといっていい。
ウェストコットが医学を修めたのもロンドン大学医学部である。ミナ・ベルグソンとアニー・ホーニマンが机を並べたスレード美術学校は、1868年にユニヴァーシティー・コレッジの一角に開かれている。大学に行けなかったメイザースは、大英博物館図書室で独学に励んだ。
黄金の夜明け団の主要メンバーの多くがこの一角で青春を送ったのであり、さらにいえば、かれらの心中にオックスブリッジに対する反発がなかったとはいえまい。後年、ケンブリッジを鼻にかけた若者クロウリーが嫌われる一因もここにあったのではないか。
たとえば黄金の夜明け団にはロバート・フラッドに対する言及がない。偉大なる錬金術研究者エリアス・アシュモールも事実上無視されている。両名ともオクスフォードの出身であり、原稿資料の類はすべてオクスフォードが管理している。ウェストコットもメイザースも、オクスフォードには近づけないのだ。
ジョン・ディーはケンブリッジの人間であるが、交霊術スキャンダルのために退学処分を受けたも同然であって、かれの文書その他は大英博物館スローン文庫に収められている。なればこそ黄金の夜明け団にも組み込み可能であった。
黄金の夜明けに採用された象徴体系は、エジプト、カバラ、薔薇十字、タットワ、すべて外国起源といっていい。そのなかのどれも宗教的崇拝の対象ではなく、照応理論のもとに整然と配置されている。
すなわち大英博物館である。こちらは産業革命を基点とする英国繁栄の象徴であり、意地の悪い見方をすれば、戦利品展示館なのである。戦利品は珍重こそすれ、崇拝の対象ではない。
アトランティス書店
ミュージアム・ストリートに所在する世界的に有名なオカルト専門書店である。とはいえ、実際に行ってみると、意外なほどこじんまりとした店構えであり、拍子抜けすることおびただしい。店内に入っても、それほどの品揃えというわけでもないのだ。
だからといって、なめてはいけない。この種の好事家向けのお店は、本当によいものは店頭に並べないのである。奥にしまってある逸品を売っていただくには、まずこちらの顔を覚えてもらい、裏を返してなじみになってと、それなりの段取りというものが必要なのだ。
わたしは3日に1回というペースでアトランティスに顔を出した。本当は毎日でも顔を出せるのだが、それは避ける。行けば必ず何か買う。ときには大量に買い、日本まで郵送してもらう。
こうやって顔と名前を覚えてもらう。ほぼ3ヶ月かかる。
すると徐々にだが、お店の対応が変わってくるのである。たとえばわたしがエノキアン辞書を購入したとき、ついでにいかがと奥のほうからカソウボンの『ディー日記』が持ち出されてきた。無論、初版ではなく、アスキンの復刻版だが、これとて1000部限定で、そうそう手に入るものではない。125ポンドという結構なお値段だが、ここはありがとうと素直に購入するわけである。
そろそろ頃合を見て、自分はこういう書物を探しているというリストを渡す。店のほうでも、了解しましたとなる。ここまでに費やした金銭は1000ポンドを越えた。
店側のほうから、さりげなく質問が飛んでくるようになる。自分はウォーバーグでGDを調べていると答える。向こうは納得するという具合である。
本当の逸品たとえばアグリッパの初版とか、あるいは本にすらなっていない書簡、原稿、文書の類となると、お店のほうとしても得体の知れない人間には売りたくないのである。生臭い話で恐縮だが、この種の逸品は利鞘も大きい。コレクターからコレクターへと移動する際には古書店が一枚噛みたいわけで、そのためにも所在を明らかにしておきたいのだ。もうこのあたりに来ると、京都界隈の茶人と道具屋の世界と変わらない。
さいわいわたしは研究者であってコレクターではないから、アトランティス書店を攻略するだけで用は足りる。書簡、文書の類はウォーバーグで読めばよい。したがってとほうもない金銭を費やす必要はなかったが、それでも3000ポンドは遣ったのではないか。ウェストコットの『ベンバイン・タブレット』もアトランティスで売ってもらったし、クロウリーの『春秋分点』全10巻も特別にわけてもらったから、目的は達したといえる。『月の子』の初版、『777増補改訂版』の初版も買えた。
日本に帰る前日、挨拶に行くと、あれこれお土産を貰った。しまいには「われわれは日本のマーケットに興味を持っている」などと妙な話にまで発展してしまった。日本人が全員わたしのような本の買い方をすると思ったら大間違いである。
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