花と蝶のこと あるいはW.F.カービーの話

そもそも魔術花壇製作とは、ありていにいってヴィクトリア朝中期から盛んに刊行されたバースデイ・ブックや金言集、花言葉本の類を収集してエキスを抜き取り、新たに配置しなおすという、それは面倒な作業でございます。

中核となっているのはエヴァンズのイラスト366点でありまして、そこにラウトリッジやフレデリック・ウォーンから出た各種デイブックの情報をちりばめていきます。

この作業中、ちょっと問題になったのが昆虫たちの存在でした。たとえば4月20日のエントリーには自然現象としてOrange-tip butterfly appears とあるわけで、このオレンジ・チップの蝶はどう表記すればよいのか。日本に近縁種は棲んでいるのか。そういう課題でありました。


 これを解決するには、ヴィクトリア朝当時の昆虫図鑑でも購入し、そこにある挿絵を紹介するのが一番との結論に達したわけです。

そこで第一候補にあがったのが、表題にもあるW.F.カービー(1844-1912)の著作群でありました。

この人はヴィクトリア朝後期からエドワード朝にかけて大英博物館動物学部門の助手をつとめ、国際リンネ学会会員にして英国昆虫学会会員、著書多数というれっきした昆虫学者です。

それにもまして重要なことは、カービーが古株のオカルティストであったという事実です。

神智学協会会員にしてアンナ・キングスフォードのヘルメス協会名誉書記、さらに黄金の夜明け団にも参入し、第二団のアデプトとしてイエイツ等のケルト復興計画にも参加したという歴戦のつわものといっていい存在だったわけで、どうせならこの人の昆虫図譜の類を購入するのが西洋魔術博物館的に正しい行為です。



かくして最初に入手したのが Butterfles And Moths in romance and reality, Sheldon Press, London, 1913.

「ロマンスと現実に見る蝶と蛾」との表題通り、昆虫学的に正しい情報を与えつつ、神話や伝説に登場する蝶類を語るという有難い著作でした。

ちなみにカービーはドイツ語や北欧の言語にも堪能で、かの叙事詩「カレワラ」の英訳も手がけています(この手腕を買われてイエイツたちの団外活動に誘われたものと思われます)。

カラー図版も豊富に入っていて、おかげで「パープル・エンペラー」なる派手な名前の蝶が、わが国でいうとオオムラサキに近いことなどが判明。ありがたいことです。

この見事な昆虫絵を描いた画家も、おそらくカービーであったと思われます。書物のどこにもクレジットがない以上、作者が絵も描いたと考えるのが自然でしょう。


さらに甲虫や蜂その他、昆虫全般を扱う書物も欲しいと思い、やはりカービーの Text Book of Entomology, W.Swan Sonneschein, London, 1885. を購入。これが意外な光明をもたらしてくれました。

以前、更新情報のコーナーで若干記したことがありましたが、フリーダ・ハリスのトート・タロットの「月」に登場する甲虫に関して海外のタロット・フォーラムにて議論になったことがありました。

小生はそれがいわゆるスカラベではなくテナガカミキリの類であると指摘し、おおかたの賛同を得ました。しかし南米産のテナガカミキリがなんで「月」に登場せねばならぬのか、そのあたりの説明がつかないとも言われ、結論が出ずに時間だけが経過しておったのです。

今回、カービーの書物を入手することで、この疑問にひとつの可能的回答を出すことができました。百聞は一見に如かず、ご覧ください。

すなわちフリーダ・ハリスが参考文献としてこの書物を入手し、巻頭のテナガカミキリに興味を覚えてこれを「月」に採用したのではないか - - 小生はそう考えました。昆虫図譜数あるなかで、フリーダがこれをピックアップする理由としては、カービーが古株のオカルティストとして斯界では有名であったことを挙げられるでしょう。

さらにもしかしたら、と思うこともあります。クロウリーがカイロにて「法の書」を受信し、スコットランドに帰還してからのことですが、ボレスキン館でコガネムシが大発生したというエピソードがあります。いわく

「ある日、バスルームにいくと、コガネムシを見つけた。前にもいったが、私は博物学には興味がないし、心得もない。しかしこのコガネムシはすぐに私の注意を引きつけたのである。こんな虫は一度も見たことがなかった。1インチ半くらいの全長で、それと同じくらいの長さの一本角がついている。角の先端は眼球を思わせる小さな球状をしていた。このときから2週間、この虫がいやというほど発生したのだ。家の中のみならず、岩場にも、庭にも、聖なる泉のそばにも、うじゃうじゃいた。しかしうちの地所の外側では一匹も見なかった。わたしは一匹を標本としてロンドンに送ったが、専門家たちも鑑定ができなかった」(Crowley, Aleister, The Confessions of Aleister Crowley, RKP, London, 1979, pp408-9.)

このときの「ロンドンの専門家」のひとりがカービーではなかったか、と小生は想像しておるのです。そして問題のコガネムシはおそらくダイコクコガネの類であったのでしょうが、クロウリーとあまり関わりあいになりたくないカービーが「わかりません」とそっぽを向いていたのではないか、と。



物品は集まるときは集まるもので、カービーの直筆書簡も入手することができました。

大英博物館の便箋に記された裏表折りたたみ四頁というものです。内容はというと、

「拝啓、アラート航海の宣伝ちらしを1、2ダースほどお送りください。こちらのほうが効果的な配布が行えますので云々」。

日付は11月10日とありますが、年号は無記入です。ここにある「アラート航海」とは英国海軍軍艦アラートが行った北平洋調査のことと思われます。その報告をjまとめた書物が大英博物館刊行物として1884年に出版されていますので、この書簡はその前年、1883年のものと推測できます。

別段、オカルト絡みのことはなにひとつ記されていないのですが、本人の筆跡とサインに接すると、なにかしら暖かいものを感じてしまうわけです。

こうなればカービーの顔写真も欲しいと思うのが人情です。著作のどれかに著者近影として掲載されていれば簡単なのですが、それがないとなれば、学会誌や大英博物館月報の類を当たることとなりましょう。やりがいのある分野です。

さらに興味の範囲は広がっていきます。なぜにちゃんとした昆虫学者がオカルトも手がけたのか。カービーは科学者としての責務と個人的オカルト趣味にどう折り合いをつけていたのか。もっともこれは科学と信仰という大命題を考えたほうが早いわけで、とりたててオカルトを云々する必要はないのかもしれません。

ちなみに19世紀前半、英国昆虫学の父と称せられた昆虫学者は、実生活においては国教会の牧師でした。自然の営みのなかに神の御業を見出すというテーマで研究を行っていたそうです。その人の名はウィリアム・カービー牧師。そう、われらのカービーと同姓であります。最初、親子かと思いましたが、どうも違う。また、W.F.カービーもいまひとつ来歴がはっきりしていない。なにやら調べがいもありそうで、この人のことは忘れないようにしたく思います。


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