島原の乱以降、徹底的な弾圧が行われた結果、キリシタンたちはすべて在所の寺院の檀家となり、表面上は仏教徒を装うことになった。さらにその檀那寺自体が神道と習合しているため、キリシタンたちの宗教的環境は複雑の一語であった。
幕府のキリシタン弾圧は島原の乱からおよそ50年を経て一段落を迎えている。この期間中に宣教師をすべて追放・誅戮し、踏絵によって大量の改宗者と殉教者が発生したが、無論のこと改宗者のなかにはうわべのみの改宗が多かった。
しかし奉行所とてそれは百も承知であったのであり、さらには宣教師との連絡を絶たれたキリシタンたちがいずれは神道や仏教と混交して土俗と化すであろうと考えていたふしがある。そして事態は奉行所の思惑とおりに進展していったといってよい。
さて、西洋秘教伝統の一派としての隠れキリシタンを考える場合、西洋秘教伝統とはなにかという点を明らかにする必要がある。
まず思想としては万物照応論、実践としてはヴィジュアライゼーションがあげられよう。さらにはタリスマン等の聖別系魔術、パスワーキングに代表される霊視系魔術、タロット等の占術系統など、各部門が思い当たる。
さらに西洋秘教伝統はなんらかのアンダーグラウンドで保存されてきた。いわゆる秘密結社という場合が多いが、隠れキリシタンこそは本物の秘密結社といえる。これに較べれば、フリーメーソンリーも黄金の夜明け団も子供の遊びであった。
隠れキリシタンの信仰形態は仏教や神道を通してキリストを礼拝するというものであったため、万物照応的展開が必然であったといえる。
たとえば多数の隠れキリシタンがイエズス像のかわりに拝んでいたのは弥勒菩薩像であった。聖母マリアの代替物としては慈母観音が用いられた。仏像ならばどれでもよいというわけではなく、やはり再臨という特質ゆえにイエズス・キリストと弥勒菩薩、慈悲という特質ゆえにマリアと観音という照応が根底にあったと思われる。
マリアに関していえば、その称号のひとつステラ・マリス(海の星)ゆえに海洋系女神との照応も導入されている。現在の長崎県外海地方には「竜宮の乙姫様」を召喚する「神寄せのおらしょ」が伝わっている。さらにはアワビやタカラガイといった貝類がマリアの象徴となり、これらを崇拝対象としておらしょをあげる例も多い。
崇拝すべき画像を直接視認できないという状況がヴィジュアライゼーションにつながるのである。「仏像の背後にゼズ様を思いうかべよ」という口伝が多数のキリシタン家系に伝わっている。
西洋秘教伝統では「喚起の野蛮な名前」という一連の呪文が伝わっている。もとはギリシャ語ないしラテン語の祈祷文であったと思われるものが経年変化のために意味不明となったものであるが、隠れキリシタンの「おらしょ」がまさにこれに相当する。
たとえば聖餐を意味する Eucharist は口伝の結果「よーかりしち」から「よーかのしち」に変化し、さらには「よーかのしちや」に至って「八日の七夜」という漢字まで用いられてしまい、本来の意味など皆無である。
すなわち弥勒菩薩像を前にしつつイエス・キリストを視覚化し、意味不明のおらしょを唱えるという信仰形態は現代の西洋魔術の修行形態にきわめて近いものであった。
また、キリシタン村では葬儀の際はまず仏葬が行われる。僧侶が帰ったのち、あらたにキリシタン式の葬儀が行われるのであるが、その際に「お払いのおらしょ」が唱えられる場合が多い。これは追難儀礼に相当するものといえるであろう。
このようなシンクレティズム状態は、五島列島のように本土と隔絶した地域ではさらに変容を見せることになった。この地域は東シナ海に面しているため、福建省を中心とする馬姐信仰の影響すら受けるのである。マリアと馬姐は容易に照応するのであり、馬姐信仰に用いられる形式がマリア崇拝に取り入れられるまでにいたった。
この事例は単に隠れキリシタンのみならず西洋秘教伝統全体に関係するといえる。
ロザリオ十五玄義とはキリストと聖母の生涯を喜び、悲しみ、栄光の三種五局面に分割し、それぞれを黙想しながら祈りを捧げる礼拝形式である。
この十五玄義は祭壇の側面にパネルとして描かれ、信者はそれを眺めては黙想し、祈祷する。
隠れキリシタンたちはパネル画を一枚ずつ木の札に描き写し、さらに親札を一枚加えて16枚として伝承していた。
この16枚の絵札は時代を経てデザインが簡略化し、現在では記号と文字のみが残っている。(左図参照)
現在ではこの木札の本来の意味はまったく忘れ去られており、くじや占いの際に用いられている。
すなわちこれは日本で発生したタロットカードといってよい。
タロット自体はその起源が不明とされているが、日本においてロザリオ十五玄義が地下潜伏の果てに記号化し、木札に変化したという事例は、タロットの起源を考える際に極めて重要な要素となる。
記号化する以前のロザリオ十五玄義(おそらくは慶長年間から寛永年間製)が発見されれば多数の事実が明らかになるであろう。
親札という余計な一枚が加わるのは、ドミニコ会派のパネル祭壇画に見られる“神秘の輪”のなごりと思われる。連続画でキリストの生涯を描く際には、必ず冒頭に“神秘の輪”ロータ・ミスティカを描くのが当時の形式であったのだ。
なお、日本におけるカルタの発祥の地は現在の福岡県三池の周辺であり、俗に言う天正かるた、うんすんかるた等がこの地で製作されている。この地方はドミニコ会派のキリシタンが多数居住した地域でもあり、カルタ形式の初期ロザリオ十五玄義が存在したとしても不思議ではない。
他にもメダイや「おまぶり」と呼ばれる紙製品がタリスマン的に使用される。とりあえずはこの程度の紹介にとどめる。