時祷書と魔術書
時祷書は魔術書として流用が可能か?
可能である、と言い切ってしまうとこのファイルも終了してしまうため、あれこれ図版を使用しつつそれなりの説得力を持たさねばならない。早い話、西洋世界でもっとも基本的な魔術文献は新約旧約の両聖書なのであるから、聖書の一部を使用しつつ日々の祈祷や礼拝を図解明示する時祷書はさしてひねくれた見方をせずともキリスト教神秘主義の書物にほかならず、それが魔術マニュアルに転用可能なのは言うまでもないのである。
無論、ベリー侯時祷書に代表される豪華絢爛な嫁入り道具系のそれで魔術云々は論外である。小生の感触では、16世紀に入ってから量産された印刷時祷書が魔術に向いている。まずは論より証拠、ケルヴェール時祷書(1502)にある「三位一体」図を見ていただきたい。
このままタロットカードの「世界」として採用してもよいくらいの図版であろう。ついでにケルヴェール時祷書のボーダーにあるメタルカットブロックからタロットに転用できそうなものを着色してタイトルをつけてみた。グランゴヌールとケイトリン・ジョフロイの中間に位置するタロットが簡単に出来上がるのである。
「ソロモンの鍵」や「赤い竜」など、今に伝わる魔術書、奥義書の類が中世起源を標榜しつつも実態として近世の産物、しかも18世紀後半あたりの製作である点を考えれば、初期印刷時祷書を中世キリスト教神秘主義のテキストと見なしてここにある瞑想や祈祷に励むほうがオカルティストの王道ともいえようか。またここに見られる図像群が宗教画としての価値を失い、それこそタロット等の世俗デザインに流用された可能性は大である。ようするにルネサンスの到来によってそれまで頭を押さえられてきたグレコ・ローマンの思想や図像が第一線に登場する一方、時祷書等の中世キリスト教図像が野に放たれてカルタになり、あるいは脈絡のないイラストと化していく。これに宗教改革が加われば、いよいよ聖人肖像など塵芥の扱いを受けたであろう。
ヘルメス思想やカバラばかりが西洋魔術の源流ではない。ルネサンスと宗教改革の勃興で行き場を失った中世キリスト教の実践的残滓(時祷書、ロザリオ祈祷、聖遺物信仰等)もまた大いなる源流なのである。いぼとりの儀式、おねしょを防ぐ呪文、恋占い、こういった民間伝承儀式に際して吉日選定があり聖人召喚があるのは、これらがもともと時祷書の人体占星図やカレンダーに起源を有するからであろう。その検証と応用のためにも小生は性懲りもなく時祷書リーフ収集を繰り返すのである。
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