Yorke, Gerald Joseph
ジェラルド・ヨーク
(1901-1983)


魔法名 Volo Intelligere (A.A.)

☆ アレイスター・クロウリーの友人にして弟子、魔術資料コレクター、東洋神秘思想研究者。執事と女中と乳母に育てられた最後の世代の英国貴族。

 1901年12月10日、グロスターシャー、テュークスベリーのフォースハンプトンコートにて出生。先祖はかのノルマンディー公ウィリアム、いわゆるハウス・オブ・ヨークの一員にしてハーディック伯爵家の連枝という名門の御曹司。父親は英国中西部にて手広く事業を展開する実業家にして銀行家ヴィンセント・ヨーク、母親は英国有数の富裕貴族レコンフィールド男爵令嬢モード・ウィンダム。父親ヴィンセントはもともと考古学の研究者を目指していたが結婚を機に実業に邁進し、見事に成功を収めている。この資質はジェラルドにも十分に引き継がれた。

 1914年、イートン校に入学。体格抜群、学術優秀、スポーツ万能の少年となる。クリケット部の主将にして寮長、エリート・クラブのメンバーとして活躍する。
 1920年、ケンブリッジ大学トリニティー・コレッジに進学。歴史方面にて才能を発揮し、1924年には特別研究生となる。1925年にはクリケット選手としてグロスターシャー代表に選出されている。

 卒業後、父親が経営する鉄鋼加工企業にて見習修行をさせられるが、これに反発。そのせいかどうか不明であるが、1928年、大学の先輩にして世界最大悪人との悪評も高いアレイスター・クロウリーと懇意になる。以降、クロウリーの弟子兼後援者として『魔術−−理論と実践』等の出版に尽力し、また人脈を生かして公安方面でのクロウリーへの誤解を解消する。

 1932年秋、一連のクロウリー関係に一区切りをつけたかったのか、ロイター特派員の肩書きで中国は上海に渡り、ジャーナリストとして満州事変後の中華事情を取材、また仏教、道教等の東洋思想を直に体験する。1935年、この間の事情を『変貌する中国』として出版。

 1937年、陸軍中将サー・ジョン・ダンカンの娘アンジェラと結婚、翌年長男ジョン誕生。

 2次大戦中は国土防衛隊の大尉として銃後を固める。クロウリーとの縁は切れておらず、老齢の魔術師を経済的に支えている。

 戦後は父親の会社の経営に携わる一方、ライダー社の東洋神秘思想書籍出版に力を注ぐ。チベット密教の普及にもつとめ、その縁で「西洋におけるダライ・ラマの代理人」となる。クロウリーや黄金の夜明け団の原資料も大量に収集、のちにこれらの保管をロンドン大学ウォーバーグ研究所に委託。研究者たちから大いに感謝される。

 1983年4月29日、テュークスベリーの生家にて死去。

写真は China Changes に見るヨーク(左)。



主要著作 China Changes, Charles Scribner's Sons, New York, 1935.

参考文献 Green, Henry Pack My Bag, Horgarth, London, 1940.
Treglown, Jeremy, Romancing, Random House, New York, 2000.
Aleister Crowley, The Golden Dawn and Buddhism. Reminiscences and Writings of Gerald Yorke. With Contributions by Keith Richmond, David Tibet, Timothy D'Arch Smith & Clive Harper. Teitan Press, York Beach, ME, 2011.

and Crowleyana generally.


目次に戻る