妖精犯罪の実態



 そもそも妖精とはたちが悪いのである。彼らがなす犯罪は窃盗、未成年略取、通貨偽造並びにその行使と、かなりの重罪が多い。本稿ではその原因と社会的背景を考察してみたい。

 英国の家庭に妖精が住みついた場合、しばしば小物類が紛失するという。その紛失にもパターンがあり、まず置き場所変換からはじまる。決まった場所に置いてあるはずの小物の位置が変わる。戸棚に入れていたはずの銀のスプーンが台所の隅に移動したりする。

 結局これがなにを意味しているかといえば、散文的な話になるが、家庭内に手癖の悪い召使がいるということである。

 産業革命に成功した英国には、相応のカウンターエフェクトがあった。それは海外の格安農産物の輸入による国内農業の壊滅であった。農村部には大量の失業者が発生し、これが離農してロンドン等の都会に流入したのである。アイルランドやスコットランドという、いってしまえば田舎の人間が大都会に出てきて、さまざまな肉体労働や下働きに従事した。ことに無学な農村部出身の女性の場合、職種は限られる。召使として中流以上の家庭に住みこむか、あるいは娼婦になるかであった。

 結果として英国都市部中産階級の家庭では、召使の供給過剰状態となった。たとえば『メアリー・ポピンズ』の場合、舞台となるバンクス家はそれほどたいした家庭ではない。チェリー・ツリー・レインで一番小さな家に住むバンクス氏は、シティーに勤める中間管理職程度であって、とりたてて金持ちではないのだ。しかし彼の家庭には料理番のブリル夫人、女中のエレン、下男のロバートソン・アイと三人もの使用人がいて、それでも足りずにメアリー・ポピンズを雇うのである。奥方であるバンクス夫人は、子供を4人産んだほかは事実上やることがなく、一日中手紙を書いていたりする。

 『ピグマリオン』のヒギンズ教授となると、教授一人に対して執事、女中頭のピアース夫人、女中が3〜4名、下男その他、推定7名程度の使用人がいる。

 両作品ともエドワード朝を舞台としているが、この大量の使用人の存在は当然とされているのである。

 使用人、召使のなかには、住みこんだ家のなかであれこれくすねる者がいて、露見した場合の予防線的言い訳として妖精が用いられたと考えるべきであろう。すなわち、貴重品をくすねるにあたっては、いきなりポケットに入れることはせず、まず置き場所移動から始める。指輪がなくなったと奥方が騒いだとしても、ここにありましたと“発見”すればよいのである。なんでそんな場所に、という質問が出た場合、ブラウニーなりレプラコーンなりの出番というわけだ。置き場所移動をしても奥方が気づかないとなれば、そのまま放置しておけばよい。その家からおひまを貰うときに回収するだけである。

 妖精万引きの実態はまずこれであろう。

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 いわゆる取替え子の件となると、やや話が高尚にならざるをえない。ヴィクトリア朝からエドワード朝にかけての、英国中産階級の家庭内における異文化衝突と考えるとわかりやすい。

 再びメアリー・ポピンズを例に引く。召使を大量に抱え込んだ英国中流家庭では、子供は幼児期からナーサリーに隔離され、ナニーと呼ばれる女性に育てられることが多かった。このナニーがアイルランドやスコットランドといったケルト系の出身者の場合、イングランド系の子供が被る影響は言語から躾に至るまで甚大なものがあったと推定される。

 カトリック化されたアイルランドでも事情は一緒であっただろう。カトリック以前の信仰を保持する人間(農村部居住者)と、カトリック改宗者(都市部居住者)の間では、飢饉等の事情により雇用関係が生じることが多く、前者が使用人として後者の家庭内に入り込み、子供に影響を与える場合があったと考えられる。

 両親にしてみれば、ふと気づくと我が子が異文化に染まっていたという事態が生じるのであって、これが取替え子という観念につながったものといっていい。

 ただし、この取替え子には積極面もあるといえる。幼少時に異文化出身の大人と親しく接することは、決してマイナス面ばかりではないだろう。文化把握の点で多様性が得られるだろうし、特定の文化のみをよしとする非寛容も避けられるのではないか。

 英国では第一次大戦後に召使市場が一変し、売り手有利となっている。住みこみで食事さえ与えれば給金などスズメの涙でよいというヴィクトリア朝的召使は消滅し、中産階級の家庭では電動召使すなわち家電製品が導入された。

 ファンタジーにおける召使問題は本稿の守備範囲を外れることになるため、この場では考究しない。
 
 

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