“ジプシー”の夕べ

from Authur Ransome Bohemea in London (1907)


 ぼくたちはようやく右に曲がり、狭い前庭と立ち木のある家並みを抜け、さらに右に曲がって短い通りの奥でとまった。
「彼女の名前はジプシーという」、友人は芝居がかった口調で言った。「ほかの呼び方をする者などいない」。それから庭のゲートを開けて、玄関に通ずる石段を上がっていった。左の窓越しに銀のランプと真鍮製の燭台がちらりと見えた。ランプシェードのおかげで部分的にしかわからない奇妙な部屋も見えた。ぼくは興奮のあまり爪先立ちになっていた。当時はほんの若造だったのだ。

 家のなかでだれかが歌を中断し、足早に廊下を駆けてくる音が聞こえた。ドアが威勢良く開き、ぼくたちの目のまえに小柄な小太りの女性戸口に現れた。少女といってもいいような人で、おそらく一生同じ年齢に見られるタイプだろう。緑色のスカートにオレンジ色の上着をはおっていて、そのオレンジの絹のいたるところに黒い房飾りが縫いつけてある。北米インディアンのズボンのフリルのような感じといえばいいだろうか。女性はぼくたちを金切り声で歓迎してくれた。笑いと驚きが半々の、なんとも奇妙な金切り声だった。おかげでぼくはなんとも身の置き所のない、恥ずかしい気分になってしまった。この金切り声はあきらかに愛情表現なのであって、しかも「名付け親は魔女、姉は妖精」という奇妙な存在にとっては、これぞ正しい歓迎形式そのものと思われた。この女性は浅黒く、痩せておらず、にっこり微笑むとこちらも微笑まざるを得ない。微笑みと同時にきらきらするジプシーの瞳は細くなり、完全に消えてしまうように思われる。今現在、彼女の瞳は、自分の誕生日パーティーの客を迎えて興奮する子供の瞳だった。

 役者はジプシーと握手を交わすと、あのいらいらさせられる芝居がかった口調でぼくを紹介してくれた。「哲学を学んできた聡明な青年」とほざいてくれたわけで、蹴飛ばしてやってもよかったと思っている。

 「入って!」 彼女は叫ぶと分厚いスカートをばさばさ言わせながら廊下を進んでいった。ぼくたちは帽子を預けて彼女についていき、おとぎばなしから抜け出してきたような狂気の部屋に入った。ああ、この人はこういった部屋でしか生活できないんだな、とすぐにわかった。小さな部屋をふたつ、間仕切りをとっぱらって一部屋にした造作で、上手にデザインされた骨董屋の趣だった。ゴーティエが好んで描写したがる部屋といってもいい。壁は暗い緑色で、明るい色の絵やエッチングやパステルのスケッチで飾られていた。窓のそばには大きな丸テーブルがあり、絵の具インクの壜や陶器の玩具、古めかしい形の文鎮、灰皿、煙草入れ、書物などが散乱していて、それが銀製のランプで照らし出されている。真ん中には香炉があり、お香が焚かれていた。ポートフォリオのうえに猿の縫いぐるみがちょこんと座って、女性の頭部をかたどった鋳物に笑いかけている様子が滑稽だった。鋳物は黒い戸棚の上で不安げな微笑みを浮かべていて、その下には東洋の陶器やインドの神々がずらりと並んでいた。マントルピースの上は三段構造の戸棚になっていて、がらくたでいっぱいだった。本がやまほど詰め込まれた背の低い本棚は、天板の上に乱雑に散らばった楽譜のせいでほとんど見えなくなっていた。奥の間には古いグランドピアノが押し込んであり、その上に真鍮製の燭台が二基、煌々と点されている。奥の間の暗がりのなかには大きな鏡台と深紅の絹のクッションと低いテーブルもあった。その卓上にはもう一基の燭台があり、お盆の上でボトルやグラスにまじって炎を揺らしていた。椅子やスツールがあちこちに転がり、壁沿いに置かれた大きな青いソファでは豪勢な髭をはやした画商が日本の版画の書物を眺めていた。

 ぼくたちは挨拶もそこそこに腰を下ろした。一方、オレンジ色の上着の女性はクッションに座ろうとしたが、そのとき窓ガラスになにかがコツンとあたる音がした。「小鳥さんたちよ!」と彼女は叫び、廊下を駆けていった。すぐに彼女は戻ってきた。そしてなんというか幸福な二羽の雀そのものといった感じの小柄な芸術家夫婦が部屋に軽やかな足取りで入ってきた。役者はふたりと面識があり、例の大仰な調子で歓迎の言葉を発していた。ふたりはベン夫妻といい、つい最近結婚したばかりだった。奥さんは粘土とワックスで造形をやり、夫君のほうはパリからやってきたばかりの画家だという。これほど小鳥という綽名が似合う夫婦もちょっといないのではないか。その場を飛び回り、壁にかかった新しい版画や、ジプシーがどうにも我慢できずに買ってしまった新しいおもちゃを目ざとく見つけたりしながら、とぎれることなくおしゃべりに興ずる。ベンとぼくはすぐになかよくなり、スタジオに遊びにこいよと誘ってもらった。そして奥さんに頼んで住所入り名刺をもらい、それをぼくに渡そうとした瞬間、突然なにやら思い出したらしく、向こうのはしにいて会話に加わっていなかったジプシーに向かって唐突な質問を発した。「なあ、きみは大きな剣を持ってなかったかな?」 ええ、あるわよ、と彼女は答え、一分もたたないうちに小柄な夫婦は壁に掛けられた身の丈ほどもある巨大な両刃の剣を眺めていた。役者は身のこなしと長身を披露するのはここぞとばかりに剣に手を伸ばし、軽々と壁から取り外した。ベンは渾身の力をこめて剣を振り回そうとしたのだが、細君があわてて止めに入ったおかげで正気に戻り、その場は大破壊から免れたのであった。その代わりといってはなんだが、かれは現在着手中の絵画の話をした。中央の人物が年老いた騎士で、青春の日々に用いていた甲冑や武具を悲しそうに眺めているのだという。この剣はベンにとってはうってつけの画題だったのだ。

 ちょうどそのとき、またノックがあり、二人の女性が並んで入ってきた。ひとりは長身で黒髪のスコットランド女性で、長くて美しい首の持ち主だった(ぼくのなかの少年はこの女性を「王女様」と名付けた)。もうひとりの女性は小太りで陽気なアメリカ人だった。

 全方向的に握手が交わされたあと、だれかがジプシーに歌をねだった。「今晩は喉の調子がよくないのよ」と彼女は咳き込んでみせた。「まずみんなでなにか飲みましょう。そのあとでなにか歌ってあげるから」。彼女は奥の間のグラスが置いてあるテーブルに向かった。「オパール・ハッシュが欲しい人?」と彼女が叫ぶと、アメリカ女性とウィスキー好きの画商をのぞくその場の全員が他にはなにもいらないと宣言した。この妙な名前の飲み物はなんだろうと思ったので、ぼくもオパール・ハッシュを注文してみた。するとぼくの顔に浮かぶ怪訝な表情をジプシーは読み取ったらしい。「こうやって作るのよ」と彼女は言い、赤クラレットが入ったグラスにサイフォンからレモネードをびゅっと注ぎこんだ。すると美しいアメシストのような泡が縁まで溢れた。「ダブリンにいるアイルランドの詩人たちがそう言ってたのよ。で、話によるとね、詩人たちはダブリン中のパブを回ってはトール・シンバルふたつとオパール・ハッシュひとつって注文したんだって。なかなか思い通りのものは手に入らなかったそうよ。だいたいトール・シンバルがなんなのか、あたしも知らない。でも、これがオパール・ハッシュ」。それは大変おいしかった。味わううちにアイルランドの詩人たちのことを考えてしまった。かれらの詩はぼくには大きな意味があったから、まるでオリンポスの神々の酒を味わうように、敬意をもってこの飲み物をいただいた。
 全員にグラスが行き渡るとジプシーがこちら側に戻ってきて、高い背もたれのある椅子に座った金色と紫色の刺繍が施されたカバーに覆われていた椅子だった。ジプシーはえへんと咳払いをし、身を乗り出した。彼女の奇妙な小顔がランプの明かりに照らし出された。彼女が歌った歌が古謡だったのには驚かされた。

「おお グーグー鳥は浮かれ鳥
だれよりも陽気
おお グーグー鳥は楽しい鳥
一日中歌ってる
甘い草を探して喉を整え
グーグー、グーグーと鳴くならば
夏が近いとわかります」

ぼくとしては、もっとこう、別のものを期待していたという部分もあった。香煙が充満する奇想天外な部屋のなか、この素朴な歌が一語一語語られていくわけで、なんとも奇怪な雰囲気といえた。
 それから彼女はイエイツ氏の『葦間の風』の一篇を単調に口ずさんだ。

「頭のなかに炎があったから、
ヘイゼルの森に出かけて
ヘイゼルの小枝を切って皮を剥いで竿を作った。
そして糸の先に草の実をひっかけた」

それからお姫さまの如きスコットランド人女性が古いピアノに向かい、黄ばんだ鍵盤上で指を動かして気だるい旋律を奏ではじめた。かつて海より伝わりし最高の歌のひとつを、ぞくぞくするような甘さで紡いだのだ。その場にいるほぼ全員がその歌をそらで歌えるらしく、たちまち合唱が始まった。

「さらば、さよなら、スペインの美女たち
さよなら、さらば、スペインの美女たち
故郷英国への帰還命令を受けたから
もう二度と会えないだろう、スペインの美女たち」

「真の英国水夫らしく、吼えて喚こう
しょっぱい海をせいぜい荒れ狂おう
故郷英国の水路に錨を打つまで
ウシャントからシチリアまで35リーグ」

ぼくのような若造にとって、こんな場面が一生の思い出になるのは当然だろう。音楽に合わせてちょっとだけ揺れるピアニストの美貌があり、周囲には奇怪な一団が集っている。オレンジ色の上着を着たジプシーがピアニストの肩越しに覗き込んでいる。小柄な芸術家夫婦は歌詞がうろ覚えなのか、爪先立ちになって楽譜を見ようとしている。その模様をよしよしと微笑みながら眺める毛むくじゃらの画商がいて、さらにマントルピースに向かってポーズをとる役者がいる。小太りのアメリカ人女性はくわえ煙草のままテーブル上で頬杖をついて、その背景は銀色のランプに照らし出された摩訶不思議な部屋なのだ。香炉から立ち上る香煙の柱も、ちょっと見には不調和に思えるおかしな配色も、すべてはこの魔術的雰囲気のなかで完璧に調和していた。

歌が終わったとき、役者から教えてもらった。件の歌はまさにこの部屋でとある老水夫から採譜されたのだという。お願いしますと連れてきたのはいいものの、案の定といおうか老人は恥ずかしがって口を真一文字に結んだまま歌ってくれない。ともあれ椅子に座らせ、酒と煙草で落ち着かせ、周囲に衝立をたててこれなら恥ずかしくないでしょうとお膳立てを整えたという。数分語、衝立の向こうから一定のリズムで紫煙が立ち昇るようになり、気分がだいぶ落ち着いてきたとのご託宣が下った。「ではお願いします!」と誰かが言い、老人が震えるような音の口笛を吹きはじめた。その古えのメロディーを音楽家が捕らえ、鍵盤上の音符に写し取っていったのだという。かくして一同は独自の古謡を手に入れたと誇らしげだった。別版がすでに歌謡本として印刷物になっていたと判明するのはずっとあとのことだったそうな。

 ほどなくアメリカ人女性がお話をねだった。ジプシーは一時期、西インド諸島で暮らしていて、くも男アナンシー(ブレル兎と同種の頓知もの)や小鳥のチムチムと歌う海亀、オベア女すなわち「茶色の顔にしわくちゃのしわを刻む」魔女の物語をいくつも知っていた。それを独特の古方言を使って語るのだ。彼女は自分の黒髪に赤茶色のロープを巻きつけた。それから床にぺたりと座る。彼女の前には火をともした蝋燭がいくつも並べてある。ジャマイカ人の乳母から習ったという前ふりの歌を歌ったのち、ジプシーは自作の木製のおもちゃに芝居をさせながら次から次に物語を語っていった。言い回しがきわめて精確なので、しょっちゅう聞きに来ている連中はすぐに暗記してしまい、彼女が少しでも言い間違いをすると子供のようにはやしたてていた。ジプシーの話を聞くことは、古えの語り部の時代に引き戻されるようなもので、人から人へ少しも変わらずに伝え継がれる古代の吟遊詩人たちの物語がどんなものであったのか、一端なりともわからせてくれたといえる。

 以上が、ぼくのチェルシーの夕べの初体験である。以後、ずいぶんと長期間にわたってぼくはこの奇妙な部屋の常連となり、一週も欠かさずにお邪魔したものである。歌や物語を聞き、画家や詩人たち、男優や女優たちと出会い、得体の知れない不定期訪問者たちとも出会った。いつ行こうともだれか知らない人がいるといった様子で、一見さんもぼくと同じく常連のうちという感じだった。人数はときに六人程度、ときに二十人くらいで、いつも楽しく騒いでいた。つまらない夕べは一度もなかった。古代の吟遊詩人の幽霊が降りてきたかのような詩の朗読があり、詩の詠唱かくあるべしと目の当たりにさせてもらったこともある。いまだ文字にならざる物語が語られ、その場限りにするにはあまりに惜しい見事な講話もあった。ぼくは楽しい戯画合戦に参加させてもらった。絵や詩がやまほど書き込まれた訪問者記帳があったのだ。ぼくたちは毎晩集まっては、記帳のページを試合会場に見立てて

「われらは大胆不敵な悪戯の一撃を放ち
楽しく迎えうたれたる」

 またぼくたちはとりかかっている絵や本といった自分の作品を持ち込み、激励されたり批評されたりして、気分も新たに製作に臨むことができた。

 最初の晩のパーティーはお話のあとでお開きになった。ぼくたちは部屋の後片付けを手伝いをした。部屋の明かりを消してから、ジプシーにさよならと手を振ってから、彼女がねぐらにしている隣家の戸口へと姿を消すのを見守った。

 通りの角につくと、歩いているのは帰る方向が一緒のベン夫妻とぼくだけとなった。ぼくたちはフルハム・ロードを一緒に下っていった。小柄な二人は新作の絵に関しておしゃべりしていて、ぼくは画題となるべき大剣をぶらさげて二人の横を歩いていった。剣の重みとバランスと新しい生活が楽しくてしょうがない、夫妻よりもずいぶんと大柄な自分が嬉しい若造だった。もっと派手に剣をぶらぶらさせていたら、街頭での武器携帯で警察から詰問される可能性もないわけではない、とも思っていた。


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