RWSの小ネタでございます。ご覧の通り、オカルト・レヴュー1909年12月号に発表された魔術師の髪の毛と、『タロット図解』1911年所載の魔術師の髪の毛が、わずかに異なるのです。これは印刷上のスミアなどではなく、明らかに加筆されたものでしょう。この差異が面白いのは、R&LとパムAとPKTが共通し、ORとパムB&Cが共通するという点なのです。すなわちパムBの複写元はPKTやパムAではなかったことを意味するのです。面倒な考証を省略いたしますと、ようするにパメラ・コールマン・スミスの原画を写真複製したセットがいくつもあって、OR掲載にされたものがもっとも古いわけです。それとは別に、多くの加筆がされてR&LとパムAの原版となったセットもある。さらに1913年のミネッタ本の図版に切り貼りされて使われたセットもあるわけで、こういう考証を積み重ねていくことで、現在行方不明になっているPCSの原画の姿を自分なりに構築しておるわけです。以上、何の話かチンプンカンプンの人が正常なのであって、話についてこれた人のほうが問題なのかもしれません。
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引き続きRWSの小ネタです。今度は愚者の靴にご注目。ご覧のように『タロット図解』(PKT)の靴が変によごれています。シャドウをつけたものとも思われません(そもそもパメラ・コールマン・スミスは人物には陰影をほとんど用いないのです)。このヨゴレは百合薔薇、パムA、PKTに共通しますが、パムB&Cにはありません。オカルト・レヴュー誌(OR)の愚者の靴がきれいなままで、百合薔薇の靴が汚れているということは、同じ図版がわずかな期間に汚れたと考えるよりも、同一図版から複数のコピーが作られて片方にスミアが出たと想定するほうが素直な解釈でしょう。基本的なラインはまったく同一なのに、一部に差異が生じるのは、複数あるコピーの片方にのみ加筆がなされているからでしょう。この加筆を行ったのが果たしてPCS本人か否か、そういう考察も面白いのであります。
小生が考えるRWS成立事情は以下のようなものです。PCSがウェイトから適当な指示を受けて80枚の絵を描きます。その絵をライダー社が写真複製し、原画はPCSに返却。ライダー社では写真コピーに加筆したりホワイトを入れたりして最終版を作ります(この際にホートンが手伝った可能性あり)。最低三種作られた写真複製セットはおそらく二次大戦のときに焼失。PCSのもとに戻された原画は売却を目的としてアメリカに送られ、一枚も売れることなくどこかに収蔵されてしまい、いまもどこかで眠っているはずです(80枚といってもその実態はB5程度の薄紙80枚ですから、書類箱にしまって棚の上に載せてしまえばまったく人目につかないでしょう)。ともあれ最初に作られたRWSは百合薔薇でしたが、これがカードの紙質が悪いは発色は悪いはで、事実上のリコールとなってしまいました。次に作られたのがパムAで、こちらがスタンダードとなります。
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さらにRWSの小ネタが続きます。『オカルト・レヴュー』1909年12月号誌(OR)の愚者の鞄と1911年『タロット図解』(PKT)のそれに若干の差異がございます。具体的にいえば、PKTの鞄は左側に線が描き加えられる一方、ホワイトで修正を入れた上で線を描き直しています。そうすることにより鞄の側面に穴が開くわけで、愚者は鞄の穴に気がついていない、とする表現でありましょう。このレタッチは百合薔薇版にも見られますから、これもまた複数の写真コピーセットの存在を示唆するものといえるのです。
この種のレタッチを第三者が行ったとするのが小生の持論であります。パメラ・コールマン・スミスと『オカルト・レヴュー』編集部の間の意思疎通が不十分だったため、各トランプのタイトルやローマ数字の位置決め等で混乱があり、PCSが描いた最初の数枚(愚者、魔術師、月、太陽など)は紙貼りやホワイトによる大々的な修正が必要でした。たとえば『月』のカードのローマ数字をご覧ください。月の光芒の上にむりやり描くなど、最初からこんなデザインだったとはまずもって考えられません。ともあれPCSもかなり気合を入れて絵を描いていますが、いざカードが製品版になれば縮尺ゆえに細部はつぶれてしまうでしょうし、色彩は印刷会社に丸投げですから熱意をそがれることこのうえなし。「わずかなお金でどえらい仕事をやらされた」と恩人スティーグレッツにぼやいた通りです。さらにこの数年後にPCSがカトリックに改宗してしまいますので、彼女にとってタロット・カードは興味の対象ではなくなってしまうわけです。原画80枚が行方不明になった理由もこのあたりにあるといえるでしょう。
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パメラ・コールマン・スミスという画家は細かい描写を行うことが多く、たとえば人物の白眼の部分に微小なホワイトを用いたりします。実はRWSタロットの細部にもそういったこまやかな配慮がなされていたのですが、原画から製品版カードに縮尺される際につぶれてしまいました。しかし『オカルト・レヴュー』誌に掲載された原寸大図版を仔細に検討すれば、いろいろと見えてくる部分もございます。
まずはここにあるOR誌の「太陽」のディテールをご覧ください。白馬の前髪とたてがみに水滴がきらめいているのが見てとれます。太陽のカードはウェイトによれば「人類は傷みやすい生命を護る城砦庭園より出でて里帰りの旅を進む。その無限の行列に先立つは超自然の東と大いなる聖なる光の運命なり」とのことで、PCSはそれを表現するべく「東」「朝」の表象として朝露の珠を描いているのです。夏の早朝、朝露がきらめくなかを白馬で疾走していく姿を思えば、このカードから受ける印象もずいぶんと異なるでしょう。PCSのRWS原画が発見されれば、どれほど多様な解釈が可能となるでしょうか。それを考えるだけでも楽しゅうございます。
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このところRWS関連の小ネタが続いておりますが、ここに至っていわゆる百合薔薇、A、B、C、Dの分類に新たな光明がさしてきたような。実は最近、海外の研究者たちと初期RWSに関して多数の情報交換を行っておりまして、やはりいろいろと話し合ううちに新たに気付くこともあるものです。たとえば小生、うかつな見落としといわれれば一言もございませんが、1921年にRWSパックの値段がかわっていたことに気がつきました。値段がかわるにはそれなりの理由があるはずですし、1909年に定価5シリングだったものが翌年春に6シリングに値上げされた件は百合薔薇からAへのモデルチェンジが理由であったとの結論が出ております。となれば1915年の1シリング値下げ、1921年の6ペンス値上げ、さらに1928年頃の6ペンス値下げはやはりモデルチェンジと関連づけられるのか。細かいようですが、これが楽しいというメンタリティーも必要でございましょう。
細かい話は後に回すとして、いわゆるパムAをさらにA1、A2に分類できる可能性が浮上しております。この分類ならば値段改訂や同梱の「鍵」本との関連もクリアできそうです。というわけで年代と価格、ヴァージョン、「鍵」本、さらに他のライダー社タロット本の出版状況を一覧表にしてみました。クリックすると別ウィンドウの大図版でご覧になれます。これはまだ試作段階でありまして、あちこちいじる必要があります。Dを1次大戦後に回して1928年からB、Cが始まるとするのがみそでございます。このセオリーを確立するにはもう一押しハードエヴィデンスの収集が必要です。頑張りたく思います
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RWSタロットをめぐる話題として、もっともセンシティブなものに「著作権」がございます。すでに世に登場して100年以上経過したRWSタロットにはたして著作権は存在するのか。存在するとして、いつ失効するのか。パメラ・コールマン・スミスの没年から起算するのか、ウェイトのそれから起算するのか。あるいはUSゲームズが常にカードに記す1971という数字にどれほどの法的拘束力があるのか。なにせRWSはタロット史上最大のベストセラーでありまして、また無数のヴァリエーションを生んだ金のガチョウとなっていますから、この話題はつねに生臭く、またきな臭いと申せましょう。
しかし根源的なところを考察しますと、そもそもウェイトはRWSタロット本体に関して著作権を有していないと思われるのです。かれが『鍵』と『図解』の著者であることは一点の曇りもない事実ですが、デッキとして印刷される箱入りタロットに対する著作権はまったく別です。ウェイト自身、1926年の記事において「自分はタロットの売り上げに関して利益分を有していない」と書いています。ライダー社もまた、タロット本体の宣伝にはパメラ・コールマン・スミスの名前は出すものの、ウェイトには一切触れていません。
一方、むしろパメラ・コールマン・スミスのほうがタロット本体の著作権を有していたのではないでしょうか。「愚者」以外のすべてのカードに記されるPCSモノグラム、宣伝文に常に画家として名前が出ることを考慮すれば、そう考えるほうが自然です。さらに次のような計算が成り立ちます。すなわち1909年制作のタロットデッキが定価5シリング実数2000だったとして、PCSのロイヤルティーが10パーセントで収入が50ポンドとなります。これはかなりの好条件の仮定であって、実際はもっとひどかったでしょう。「わずかなお金でどえらい仕事をやらされた」という彼女の感想は、著作権保持を前提とすると、ずっと真実味を帯びるわけです。少し時代はずれますが、1921年にスタージ・ムーアが蔵書票のデザインと制作で20ポンドを要求しています。80枚のタロット原画制作ならばどのあたりが適正価格となるでしょうか。
コールマン・スミスがRWSタロットの著作権を保持していたとしても、後年彼女は経済的に破綻してしまい、多額の借金を残したまま他界しています。わずかに残る私財は競売にかけられているわけで、彼女の著作権もまた債権者の手に渡ってしまったでしょう。このあたりの細かい事情はライダー社の社内文書に記されているはずなのですが、これがまた不運にもロンドン大空襲の際に焼失しています。真相は闇のなかなのです。
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