Germer, Karl J[ohannes]
カール・ゲルマー
(1885-1962)

魔法名 Saturnus (O.T.O.)


☆ クロウリーの忠実な弟子、O.T.O.の第四代 O.H.O.1

 1885年1月22日、出生。ドイツ国内の様々な大学に学び、ソルボンヌにも留学する。予備役の将校だったため、一次大戦では陸軍に採られ、諜報活動の功により鉄十字章を授与されている。
 大戦後、ベルリンの出版社に勤務して、ここでクロウリーの著作の翻訳と編集に携わる。ゲルマーのドイツO.T.O.参入のきっかけは判明していないが、諜報活動に従事していた時期にやはりその種の仕事をしていたテオドール・ロイスと出会ったからだと推測されている。
 ゲルマーは「パンソフィア」
2というドイツのオカルト組織連絡会のメンバーでもあり、1925年にいわゆる「ウィーダ会議」3が催された時にクロウリーに初めて対面して完全に心酔、以後クロウリーの弟子として生涯苦楽を(主に苦を)ともにすることになった。ゲルマーは比較的裕福だったので、クロウリーの恰好のたかり目標となっている。
 1925年から約10年間、ゲルマーはハンブルグ・アメリカ定期航路会社の社員となり、ドイツと米国を往復しつつクロウリーのための金策や出版に奔走しているが、1935年、政権を取ったナチスの秘密結社狩りに引っ掛かり、強制収容所にぶち込まれている。10か月後に釈放され、ブリュッセルに逃れて、この地からクロウリーに金銭的援助を行うが、1940年にはドイツ国籍ゆえにベルギー当局から逮捕され、フランスに転送されて捕虜収容所入り。1941年に解放されて、米国に移住している。
 その後、ゲルマーはO.T.O.の会計長官をつとめ、1947年のクロウリーの死後、O.T.O.の第四代 O.H.O.となっている。彼はクロウリーの遺骨と O.T.O.に関係する師匠の著作権も貰い、金銭的苦労をしながら師匠の作品の復刻に尽力している。 O.H.O.として、馬鹿な真似をやらかす O.T.O.団員を次々に破門しつつ、テレマの教えに殉ずる生涯を送る。

 1962年10月25日、次期 O.H.O.を指名せぬままカリフォルニアにて死去。このため、O.T.O.は跡目争いが延々と続くことになり、ゲルマーは晩年の過ごし方を誤ったとの評価が下されている。 

1. Outer Head of the Order の略。現世に於けるO.T.O.の最高首領を示す。当然ながら、Inner Head は《秘密の首領》である。
2. Pansophia. 同名の出版社も兼ねる一種の連合組織。O.T.O.が中心となり、神智学協会系や各種心霊術系が参加している。
3. Weida Conference. ドイツ、チューリンゲンのウィーダ村で行われた「パンソフィア」の会議。ここでクロウリーがO.T.O.の第三代 O.H.O.に選出された。クロウリーは欲張って「パンソフィア」全体をも掌握しようとしたので体よく追い返されている。


主要著作
参考文献 Crowleyana generally.


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