Bruno, Giordano
ジョルダーノ・ブルーノ
(1548-1600)


☆ イタリア・ルネサンス最後の哲学者と呼称される思想史の大立者。

  ナポリ領ノラにて出生。15歳でドミニコ会派の修道院に入り、27歳までを法衣に包まれて過ごす。この期間中、すでに異端の嫌疑をかけられること数度に及んでいる。
 1575年、ついに異端のために投獄されそうになりローマに逃走、ここから彼の放浪人生が始まる。以後、家庭教師や印刷所のアルバイトで食いつなぎつつヨーロッパ各地を転々、フランスに入った頃が彼の人生の華であった。トゥールーズ大学で学位を取得し、哲学教授としてアリストテレスを講義すること2年、次にパリからロンドンと流れて行く先々で哲学論争を起こし、再びパリに戻り、ソルボンヌ大学で新旧宇宙観に関する一大論争を展開して各方面の憤激を買い、パリから逃走。ドイツ、ボヘミアと流れて相変わらずの哲学論争を繰り返し、1592年にチューリヒ経由でヴェネチアに入った時に、パトロンの貴族に裏切られ、宗教裁判所に逮捕される。
 1593年、身柄をローマ法王庁に移され、7年間を牢獄で過ごす。この間、今までの学説、信条を放棄して改悛するよう求められたが、頑として拒否し、ついに1600年2月17日、ローマに於いて異端者として火刑に処せられる。

 ブルーノは様々な思想の所有者であったが、カバラ的記憶術の解説者として、また、ルネサンス魔術思想の保持者として注目される。彼の記憶術も魔術も、同時代及び少し前の時代の研究者たちの影響をもろに受けており、ルルやアグリッパ、バティスタ・デラ・ポルタ等の思想に近似している。ただし、ブルーノは基本的に思想の人であったから、魔術の実践よりも理論構築に興味を抱いていたことは明らかである。
 ルネサンス期の魔術は文字通り「復興した」魔術であり、ローマ時代に排斥された種々様々なヘルメス的伝統が一度に甦っているため、多くの方向性を内包している。おおざっぱに言って方向性は二つ、自然科学になるか霊的修行法になるかのどちらかであり、どちらに進んでも旧来魔術につきまとっていた教会的悪魔も魔女も踏み潰していくことになる。ゆえにこの時期に教会サイドの悪魔学者・魔女学者が口を極めてデラ・ポルタやブルーノを攻撃しているのは当然である。
 教会の権威がまだ強大である時期、いかなる形にせよ公的に「魔術」にかかわる者たちはそれだけで身が危険にさらされているわけで、彼らを守ってくれるものは貴族の庇護しかないはずである。しかも貴族たちは気まぐれで、魔術と聞けば神変不可思議の業を期待するに決まっている。デラ・ポルタはこの点を十分に理解していて、貴族の娯楽として幻燈の原理を利用した見世物などを提供していた。
 しかるにブルーノは魔術や記憶術を思想・哲学として捕捉して、高邁な理論を説くのみであり、なにか面白い見世物を期待し、また短期間で物覚えがよくなると信じている貴族たちを落胆させることが多く、彼を最後に教会に売り渡した貴族もそういった失望組の一人だったのである。
 ブルーノの生涯も思想も、実に示唆に富むものとして、現代でも重視されている。

主要著作 DeMagia-Theses de magia De magia mathematica Cabala del cavallo pegaseo, London, 1585.
Ars memoriae, Paris, 1581.


              
参考文献 Yates, Frances A.: Giordano Bruno and the Hermetic Tradition, RKP, London, 1964
−    −  : The Art of Memory, RKP, London, 1966.
清水純一『ジョルダーノ・ブルーノの研究』創文社、昭和45年。



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