『ワイド・ワールド・マガジン』1898年第1巻

 いまだ世界地図に空白域が残る19世紀末、アフリカ奥地や極東の探検報告は好奇心に富む英国の一般大衆や知識人に大歓迎されていたのである。もちろん図版や写真の添付は必須条件であった。そういうニーズに全面的に応えるべく創刊されたのが月刊『ワイドワールド・マガジン』である。写真印刷に適した上質紙を使い、毎月さまざまな冒険、探検、珍談奇談を紹介していた。
 右にある本は1898年に刊行された『ワイドワールド・マガジン』をハードカバーに装丁しなおした保存版である。このなかにわれわれが捜し求めるインタビュー記事が発見されたのである。




ハルトゥームからナイル源流へ

フェルキン博士インタビュー (部分)


 1878年春、宣教師派遣協会に届いた一報によると、同会のヴィクトリア・ニャンザ遠征隊のうち二名がウケレウェ王ルコンゲによって殺害されたという。生存者はウィルソン師ひとりであり、ウガンダに単身取り残されてしまった。同協会は新たなパーティーをナイル川経由で派遣する決定を下した。このルートを選んだ理由は、当時のスーダン総督のゴードンが宣教師隊の派遣費用を負担すると申し出ていたからであり、またかれの支配下にある地域での安全を保障してくれたからであった。

 R.W.フェルキン博士はこのとき派遣隊をひとつを結成しており、6月9日にはスアキンにて大遠征に備えて搬送用のラクダ等を購入していた。

(以下、探検の準備とゴードンに会ったときの話、直々に地図を描いてもらった話等が続くが、西洋魔術博物館としては次の部分の紹介をメインとする)。

Charles George Gordon (1833-1885) 英国の伝説的軍人。クリミア戦争を皮切りに数々の戦場を経験、常に無敗を誇る。1874年から中央アフリカの英領植民地の統治に辣腕を振るい、最後は現地の反乱軍に殺害されている。勇猛かつ高潔な人柄で知られており、人気があった。

 「わたしは多くの呪術師や魔法使いに遭遇した。ライオンやジャッカルやハイエナなどに変身できると主張する者たちもいた。夜間、その姿で短時間に驚くべき距離を旅行するというのだ。また占いの力も持っているという。行方不明になった家畜を見つけたり、運命を告げたり、ほかにも不思議なことができるそうだ。朝になるともとの姿に戻り、遠隔の地に関する情報をもたらすわけだ。さて、この手の魔法使いたちがなにをどうしているのか、わたしには詳しいことはわからない。ただ、連中の一人が持っていた力に関しては、それなりに実見させてもらう機会を得たとだけいっておこう。その魔法使いの写真があるから見せてあげよう。
 「まず魔法使いたちは秘伝の根っこを服用し、深い眠りに落ちる。この状態にあるときは、だれもかれに触れてはならない。翌朝目覚めたときには、未来のことをいろいろと教えてやれると豪語するわけだ。これからお話しすることは、エミン・パシャとともにウガンダから戻ったときにラドで起きた。

 「その頃わたしはまる一年ほどヨーロッパからの手紙を受け取っていなかった。もちろん、読みたくてたまらなかった。どこかにわたしあての手紙がたばになって保管されていることはわかっていた。ただ、ナイルが浮き草の島で塞がっているため、どうにも配達されそうになかったのだ。しかしある朝、男がひとり、わたしたちのテントに飛び込んできた。大変興奮していた。男いわく、土地のムロゴすなわち魔法使いが昨晩ジャッカルの姿でこの地方を巡回してきたという。そしてメスチェラ・エル・レクという場所を訪問したところ、二隻の蒸気船を見た。その1隻にわたしたちあての手紙が積んであったとのこと。また蒸気船の指揮官は白人の高官で、その風貌もくわしく告げられた。さて、メスチェラ・エル・レクはわたしたちの滞在場所であるラドから約550マイル離れている。通常の方法ではとうてい一晩でカバーできる距離ではない。20晩かけても無理であろう。わたしとしてはすべてを笑い飛ばすしかなかった。そのとき、一緒にコーヒーを飲んでいたエミン・パシャが、この話のことが少し気になったらしく、突然立ち上がり、ともかくその魔法使いに会ってみようと言い出した。ほどなく魔法使い(写真参照)がわたしたちのテントにやってきた。エミンがすぐにアラビア語で“昨晩、どこに行ったのだ?”と質問した。
 “メスチェラ・エル・レクにいた”と魔法使いがアラビア語で答えた。
 “そこでなにをしていたのだ?”
 "友達に会いに行った”
 "なにを見た?”
 “ハルトゥームから蒸気船が二隻到着するのを見た”
 “おい、でたらめを言うな。おまえが昨晩メスチェラ・エル・レクにいたはずがない”
 “いたのだ”と客人が冷静に答えた。“それに蒸気船には英国人が乗っていた。大きなあごひげを生やした背の低い男だった”
 “なら、その男はなにをしていた? 男の任務はなんだ?”
 “かれが言うには、ハルトゥームの偉大な高官によって派遣された、あなたたちあての書類を持っている、と。かれは明日、大いなる旅行に出る。あなたたちあての書類を持って、いまからおよそ30日後にここにやってくる”

 「結論から言うと」とフェルキン博士が語る、「そのムゴロの話はまったく正しかった。それから32日後にわたしたちのキャンプに英国人がやってきて、ハルトゥームからの手紙を届けてくれた。もうひとつ言えば、魔法使いの言葉を聞いているうちに、わたしたちのもとにやってくる人物が他ならぬラプトン・ベイであることもわかった。ラプトンがもたらしたニュースはわたしたちを落胆させるものであった。かれは26マイルに及ぶ浮き草除去をやってのけたのだが、それでも前途ほど遠いありさまで、蒸気船でハルトゥームに戻るのはまず無理とのことだった。魔法使いに関していえば、わたしとしてはかれが実のところ生まれてこのかた村の外に出たことすらあまりないと確信している。ただのあてずっぽうだったという説は論外である。きわめて特異な状況下で行われた予言であり、遠距離旅行はまずあり得ないからである」
Emin Pasha (1840-1892) 本名 Eduard Schnitzer ドイツの医師にして探検家。ゴードンの死後、エクアトリアの総督となるが、1892年に殺害される。フェルキンはエミン・パシャに心酔しており、エミン伝の英訳本刊行に尽力している。

 以下、フェルキンのインタビューはエミンの話、ウガンダの宮廷で侍医となる話、ハルトゥーム陥落の話と続く。

 



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