W. Graham Robertson (1866-1948) |
W. グレアム・ロバートソン Walford Graham Robertson 英国ヴィクトリア朝末期からエドワード朝にかけて活動した画家、イラストレーター、舞台美術家。ウィリアム・ブレイクの収集家としても知られる。 1868年7月8日、富豪の一人息子としてロンドンにて出生。生涯働く必要がなかったいわゆる「ジェントルマン・アーティスト」。イートン校に通う一方、アルバート・ムーアに絵を学び、バーン・ジョーンズ等と親交を結ぶ。その後はロンドン界隈にて気ままな芸術活動を展開する。サラ・ベルナールやエレン・テリーといった大女優たちに可愛がられ、ヴィクトリア朝末の画壇、劇壇の中心人物のひとりといってよい。 20世紀に入ると友人の幼い娘のために児童書、妖精劇を執筆。さらにブレイクの未発表作品を数多く収集し、ブレイク評伝の刊行に尽力する。 1次大戦後はサレイ州サンドヒルズに隠居。犬を飼い、児童劇を演出し、絵を描く日々を過ごす。 1948年9月4日、平安のうちに他界。生涯独身であったため家族も相続人もおらず、生涯を費やして集めたブレイク作品やラファエル前派作品のうち、主要なものは1939年にテート美術館等に寄贈された。残りは本人没後にクリスティーズにて競売にかけられている。 グレアム・ロバートソンのオカルト傾向は本人の自叙伝に明らかである。母方の祖先として、冗談まじりに「ジオマンシーと儀式魔術の書物にあった“癒しの手”ジョン・グレートレイクス」やオカルト作家イブニーザ・シルビーを挙げているし、妖精に対する憧憬を隠そうともしない。長じてのブレイクへの関心など、オカルト認定するに十分な資料が残っている。 左はジョン・シンガー・サージェントが1894年に描いた当時28歳のグレアム・ロバートソン。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』のモデルと噂される一枚。 |
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from Algernon Blackwood's The Centaur (Macmillan, London: 1911) ブラックウッドの「超絶主義」系代表作『ケンタウロス』のエンドペーパー。カバーにもブラインドエンボスで同様のデザインが施されている。 |
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bibliography main works Old English Songs and Dances (Hamish Hamilton, London, 1902). French Songs of Old Canada (William Heinemann, London, 1904). Chansons de l'ancienne France (Pour les Bibliophiles independants, Chez H. Floury, Paris, 1904). A Masque of May Morning. (John Lane Bodley Head, London, 1904). A Year of Songs for a Baby in a Garden. (John Lane Bodley Head, London, 1906). Gold, Frankincense and Mirrh, and other pageants for a baby girl (John Lane Bodley Head, London, 1907). The Baby's Day Book. Song of the Day the Dusk and the Dark. (John Lane Bodley Head, London, 1908). Pinkie and the Fairies. (William Heinemann, London, 1909). Alexander the Great, or Romps and Romances, (Samuel French, London, 1919), The Town of the Ford. (no publisher's name, 1925) Time Was : The Reminiscence of W. Graham Robertson (Hamish Hamilton, London, 1931). books with illustrations by Graham Robertson Agnes Tobin, Love's Crucifix, Nine sonnets and a Canzone from Petrarch. (William Heinemann, London, 1902) G.K. Chesterton, The Napoleon in Nottinghill (John Lane Bodley Head, London, 1904). Elizabeth Rachel Chapman, A Little Child's Wreath (John Lane, London, 1904). Alfred Ollivant Redcoat Captain (Macmillan, New York, 1907). Kenneth Grahame, The Wind in the Willows (Methuen, London, 1908). Algernon Balckwood, The Lost Valley (Eveleigh Nash, London, 1910). Algernon Blackwood, Pan's Garden (Macmillan, London, 1912). Kitty Cheatham, Her Book (G. Schirmer, New York, 1915). Kitty Cheatham, A Nursery Garland (Schirmer, New York, 1917). I.A. Taylor, The Silver Legend, Saints for Children (Sands and Company, London, 1902). I.A. Taylor Joan of Arc, Soldier and Saint. (P.J. Kennedy and Sons, New York, 1920). Mrs Ewing Old Fashioned Fairy Tales (Bell and Sons, London, 1920). Alfred Scott-Gatty, I Wonde Why (Collins Sons & Co. Ltd, London, 1920). Alfred Reynolds & W. Graham Robertson, The Fountain of Youth (Elikin and Co. Ltd, London, 1931). Blake Studies Alexander Gilchrist, The Life of William Blake (John Lane Bodley Head, London, 1907). Introduction by W.G.R. Related Works Kerrison Preston edt. The Blake Collection of W. Graham Robertson. (Faber and Faber, London, 1952). Kerrison Preston edt. Letters from Graham Robertson. (Hamish Hamilton, London, 1953). |
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Special Feature: an Alchemical Book from the library of W. Graham Robertson. |
The New Pearl of Great Price. A Teatise concerning the treasure and most
precious stone of the philosophers. (London. James Elliott and Co. 1894.) 1330年にフェラーラのペトルス・ボヌスが記したとされる錬金術書を1546年にヴェニスのアルディーネ・プレスが出版。その英訳として1894年に登場した書物であり、A.E.ウェイトが序文を寄せている。 当博物館所蔵の冊にはヘドワース・ウィリアムソンの献辞が入っており、グレアム・ロバートソンへ贈られたものだったことがわかる。ウィリアムソンとロバートソンの関係は、後者の回想録に詳しい。 「イートンで出会った同好の士がヘドワース・ウィリアムソン(現サー・ヘドワース)だ。かれのイートン滞在はあまりに短かった。一学期の半ばでしょう紅熱かなんかに罹り、二学期末には眼炎まで併発して、栄光の雲に包まれつつサナトリウム送りとなったからだ。わずかの間だったが、ぼくたちはよく顔をあわせていた。週の頭はふたりとも席順がまえのほうだった。授業と大して関係ない質問に正答したご褒美という場合が多かった。その後はたいてい私語が理由で席順を下げられ、週末にはふたりして後ろのほうで快適に過ごしていた。 かれは文学肌の君子だった。かれの作文にぼくが絵を添える。こうして単調な授業時間もさっさと費やせるという仕組みだった。本物の想像力の持ち主で、本気で励めばその方面で大成できたはずだ。かれが見て、ぼくに語ってくれた夢を今でも覚えている。ならばシェヘラザードよろしく今から語りなおしてみようと思う。学童が見る夢にしてはあまりに異様な代物と思われるからだ。 夢のなかでかれは農産物品評会の会場にいた。出店のあいだを歩いていくと、黒い顔のジプシーが手に大きな籠をぶらさげて、ひとりぽつんと立っている。誰かがささやいた。「あれが妖精をつかまえた男だ」。すると男は顔をあげ、こちらのほうに籠を突き出した。 なかには小さなのが数匹、やつれた蒼白な顔に薄い唇を引き締めてうずくまっていた。羽根が抜けて不機嫌な雀たちが肩をよせあっているかのようだった。そこを男が棒で小突きまわす。しなびたような、しかし死ぬことはけっしてない捕虜たち。男はさらに歌をうたった。 踊れ、わらべよ、踊れ、こどもら、 そなたらの影の一族に矢を向けようとも、 時の翼には矢に用いる風切り羽はなし 死を除きし汝の王国にておどれ ここで夢想者は目が覚めたのだが、奇妙な詩の一節は消えることなく残り、ぼくにも伝わったという次第だ」 (Graham Robertson, Time Was, 65-66pp) 妖精好きの少年二人はその後も交流し、オカルト関連の興味を分かち合っていたものと思われる。 |