中世の霊視
タロットを霊視に用いる、いわゆるパス・ワーキング的実践がいつの頃から行われていたのか。
無論のこと結論など出るはずもない疑問である。しかしタロット云々を別にすれば、小画像を用いてヴィジョンを得る方法らしきものが中世からルネサンス期の絵画にちらほら見うけられる。
下はフラ・バルトロメオが描く『聖ベルナルドゥスへの聖母の出現』(1505年頃)である。シトー会中興の祖として知られる聖ベルナルドゥス(1090−1153)には、書物の執筆中に聖母のヴィジョンを得たという伝説があり、その場面が描かれているのである。白衣でひざまづく人物が聖ベルナルドゥスだが、その足元に置かれる小さな祭壇画がひときわ目立つ存在となっている。
画家であるフラ・バルトロメオはもともと工房画家であったが、信仰に目覚めてフィレンツェの聖マルコ修道院に入ったという経歴の持ち主であり、すなわちフラ・アンジェリコのフレスコ画を前に瞑想を重ねた経験を有するのである。おそらくバルトロメオは画像没入系のヴィジョン体験を得ていたのであり、聖ベルナルドゥスへの聖母出現を描くにあたり、自分の経験を参考にしている。不必要なほど緻密に書き込まれた小祭壇画は、ヴィジョン体験への扉として、いわば秘儀を公開しているに等しい存在といえよう。
聖ベルナルドゥスへの聖母の出現(部分) | 小祭壇画(拡大) |
ファン・エイクの幻視
ヴィジョン体験の映像化という点で特筆すべきは十五世紀のフランドル派である。とりわけファン・エイクに見られる大胆な描写は、その意図を理解しない人間にとっては冒涜的にすら思われたであろう。たとえば画家の傑作『ルッカの聖母』の場合、聖母子は当時の平均的家屋内の洗面所付近に出現しているのである。
ルッカの聖母 |
聖母子がヴィジョンであり、しかもそのヴィジョンの獲得法までを示唆している点で、この絵はきわめて貴重といえる。画面右の下段の棚には水を張った洗面器が置いてあり、上段の棚には水を入れた透明なガラス瓶が描かれているのである。この種の反射物がヴィジョン獲得の手段となりうることは、ヴィジョンや霊視に詳しい人間ならば容易に首肯できるであろう。
ファン・エイクは同時期に製作した名作『アルノルフィーニの婚礼』において、ヴィジョン獲得法をさらに懇切丁寧に描いている。
アルノルフィーニの婚礼 |
この絵はブルージュに住む裕福なイタリア商人アルノルフィーニとその妻を描いたものであるが、注目すべきは中央、壁面に飾られている歯車状の鏡である。
中央壁面の鏡(拡大) |
見ての通り、この鏡の周囲にはキリストの生涯が10場面描かれており、横には棒数珠が掛けてある。すなわちこの鏡はキリストの生涯を視覚化するための道具であり、数珠はその際の連祷用カウンターなのである。さらにいえば、『アルノルフィーニの婚礼』と『ルッカの聖母』には共通して描かれているものがある。それは窓辺の果実であり、また椅子の肘掛部にある獣像である。
ルッカの聖母は洗面所に出現しているのであり、夫婦の寝所に出現する聖母があってもおかしくはない。すなわち宗教的ヴィジョンは十五世紀中葉にあってすでに修道院の独占物ではなく、民間レベルにて充分獲得されうるものだったのである。ファン・エイクの一連の作品がそれを如実に示しているといえよう。
はたしてこの鏡はアルノルフィーニの部屋に実在し、ゆえにファン・エイクの筆で描かれることになったのか。あるいはファン・エイクが意図的に描き加えたものか。それは謎として残されるのである。