塔の象徴

マリアン・シンボルによる解読


 タロティストを大いに悩ませるカードを一枚あげよと言われれば、「塔」しかないであろう。なにせヴィスコンティ・スフォルザやデステといったプロト・タロットには存在しない札である。最古の「塔」がどのカードなのか、それも判然としていない。未裁断シートという形で現存している初期タロットの「塔」も複数あるが、専門家をもってしても制作年代は15世紀半ばから16世紀半ばあたりとされるだけで、はなはだ心もとないのである。

 そもそも「塔」は印刷タロットにしか存在しないという観点に立てば、その成立はやはり16世紀以降となろうか(グランゴヌールは印刷に手彩色を施したものであり、ヴィスコンティ等とはカテゴリーが異なる)。本稿ではマリアン・シンボルとしての「塔」を考えて見たく思う。


理想的ゲーム環境としての「閉ざされた庭」

 プロト・タロットであるヴィスコンティ・スフォルザ等が貴族の手慰みとして製作された点は疑いの余地がないのである。そして中世の貴族社会におけるカードゲーム環境を考慮すると、プロト・タロットの基本的シンボリズムはおのずと明らかになる。

Garden of Love (c.1470) detail


 上は中世に大いに流行した「愛の庭」モチーフの一例である。中央に泉があり、花が咲き乱れ、男女は楽しく語らい、遊戯に耽る。この際に用いられるのがタロットなのであり、博打とは一線を画した別種のいかがわしさが感じられる。

 「愛の庭」のもとねたは旧約聖書の雅歌である。

 「わが妹、わが花嫁は閉じた園、閉じた園、封じた泉のようだ」(雅4.12)
 「あなたは園の泉、生ける水の井、またレバノンから流れる川である」(雅4.15)

 また愛の庭の背景に見える塔や城は「あなたの首は象牙のやぐらのごとく、あなたの目は、バテラピムの門のほとりにあるヘシボンの池のごとく、あなたの鼻は、ダマスコを見おろすレバノンのやぐらのようだ」(雅7.4)や「わたしは城壁、わたしの乳ぶさはやぐらのようでありました」(雅8.10)に由来する。

 あの陰気な旧約聖書中にあって唯一美麗な愛と官能に満ち満ちた『雅歌』は人心を捉えて離さなかったのであり、さまざまな絵画や細密画の主題として描かれ続けた。雅歌そのものは花嫁と花婿の相聞歌であろうが、中世ではこれがキリストと教会の関係を男女間の愛になぞらえたものとする見解が生まれ、さらに花嫁を処女マリアに見立てる風潮が確固たるものとなったのである。

 この環境下で行われるカードゲームは、当然ながら雅歌のシンボリズムすなわちマリアン・シンボルを孕んでいると見なすべきであろう。


塔と樹木

 ふたたび「塔」に話を戻す。マリアン・シンボルとしての塔は「難攻不落」の処女性を表すのである。「城砦都市」も同様である。下の図はマリアとイエスと聖ヨハネの三者を描く「聖家族図」である。「閉ざされた庭」にして「城砦都市」を表すための城壁があり、また背後に塔を描いている点に注意すべきであろう。この構図はマルセイユ版の「太陽」に使われることになるのだが、その場合は「塔」は省略されてしまう。


 さてマルセイユにせよイタリアンにせよ、「塔」札の特徴は「落雷」にある。事実、この札は電光と称されることもある。初期の印刷タロットであるヴィーヴィルやその流れをくむヴァンデンボーレでは塔は描かれず、かわりに樹木への落雷が描かれている。

Vieville Vandenborre


 上の二種類が描いている光景は間違いなく「羊飼いへの聖誕告知」 Annunciation to the Shepherds である。このあたりはスチュアート・カプランも指摘しているが、かの世界一のタロット・コレクターですら図像的フォローが足りない点は否めない。下はペリー候時祷書に見る「羊飼いへの聖誕告知」図である。


 そして羊飼いたちのそばに生える樹木はヒマラヤスギ cedar であり、やはりマリアン・シンボルなのである。そしてヒマラヤスギと塔という二つのマリアン・シンボルが置き換え可能であるという点を、下の時祷書細密画が如実に示している。

Announciation to the Shepherds (c1470)


 初期未裁断タロットの「塔」には塔の左右に二本の樹木を配したデザインのものもある。このあたりを考慮に入れても、ヴィーヴィルやヴァンデンボーレ、さらには未裁断シートに残るデザイン等が「羊飼いへの聖誕告知」の背景にある塔とヒマラヤスギを描いている点に疑問の余地はない。

 そして聖書の記述に従えば、羊飼いたちの礼拝の後に「東方の三博士の礼拝」が行われるわけであるから、「星」のカードはベツレヘムの星、初期の「月」に登場する占星術師たちは三博士と解釈してよいであろう。


落雷の意味

 しかしマルセイユの「塔」、正しくは「神の家」 La Maison de Dieu には単に「羊飼いへの聖誕告知」だけではすまないエレメントがある。すなわち塔の先端部にある王冠であり、落雷であり、転落者である。



 マリアの象徴たる塔を電光が撃つという描写はなにを意味するのか。

 結論から先に言ってしまうと、マルセイユの電光は聖霊による受胎の表現であろう。いささか乱暴な解釈と思われるかもしれないが、この点に関しては中世のシンボリズムであるユニコーン伝承を考え合わせるとよい。

The Holy Hunt -- German Engraving c 1500


処女を囮とするユニコーン狩りは有名であるが、これの宗教寓意版が「聖なる狩り」である。ユニコーン=イエスを処女マリアの子宮に追い込むという設定のもと、「閉ざされた庭」の中にてガブリエルが猟犬とともにユニコーンを狩るのである。上の図にはマリアン・シンボルとして泉、蝋燭、塔が描かれている。そして疾駆するユニコーンの角の向かう先はまさにマリアの子宮なのである。電光に撃たれる塔は聖霊によって懐胎するマリア、ユニコーンに突進されるマリアの別形と見なしてよい。

 そして塔から転落する者たちは何者か。ここはやはり聖バルバラの物語の影響を認めるべきであろう。初期の「塔」にある「羊飼いへの聖誕告知」と「ユニコーン=電光」のシンボリズムが薄れ、かわりに「黄金伝説」にあるバルバラ伝が持ち込まれた結果と思われるが、このあたりになると確証を得ることがむつかしくなるのである。ともあれバルバラ関係の図像に登場する塔は、マルセイユの塔そのものの場合が多い。




まとめ

 そもそもプロト・タロットに存在しない「塔」がマリアン・シンボルという形でタロット内に取り込まれた理由はなにか。筆者が提出できる推理としては、1470年頃におそらくゲーム自体のエクスパンションというか、カード枚数の追加が始まった。そしてカードも印刷が主流となった。この時代、カード印刷はいまだ専門業として独立しておらず、時祷書を印刷する工房が片手間に製作していたはずである。1475年前後から始まったロザリオ修道会の爆発的流行およびそれに付随する印刷物としてのマリア図像の普及を考えあわせると、十五玄義図の一部をカードデザインに流用する印刷工房があったとしても不思議ではないのである。ひとたびカードに組み込まれた「塔」のシンボリズムは後代に入って一人歩きし、破壊面を強調されたり転落面を強調されたりして、解読がむつかしくなったものと思われる。


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