Thought-Forms

思念形態 (要約)

アニー・ベザント


知識の増大とともに科学は不可視の領域へと目を向ける。エーテル論、メスメリズム、レントゲンは市民権を得つつある。テレパシーやサイコキネシスが脚光を浴びる日も近いであろう。

物理から星幽へ至る道は思念研究のなかにある。西洋の科学者は脳の構造や生理機能を研究することで「健常心理学」の基礎を築いた。さらに夢や幻覚の領域を探査すれば、星幽へと行き着くのである。パリのバラデュック博士はアストロ・メンタル的画像を写真にとるという研究をしている。この画像は脳の灰色物質の振動がもたらすものと考えられている。

この方面を研究した人間にはよく知られているが、当の画像は通常のスペクトラムでは捉えられない各種紫外線の反映がもたらすのである。霊視家は写真板に肉眼では見えない像を見出し、それを言葉にして語る。多数の実例が報告されているため、偏見のない人間であればその存在を認めざるを得ないであろう。この画像を目に見える形で再現する試みがなされている。バラデュック博士の写真は近年の成功例である。精神が生み出す不可視の波動は古今の聖人画の光輪などにも見られる。

バラデュック博士はある対象を強く念じ、その印象を感光板に残すという手法を用いる。故人となった女性の肖像を感光板に投射したこともある。思念や感情が外的に投射され、銀塩板上で物質化するべく化学変化を起こすとされる。

実例1
熱心に祈ると力が光となって放射される。

実例2
やはり祈祷が羊歯のように展開される。

実例3
祈祷が雨粒になって天上に上昇していく。

実例4
三人が友情のことについて考えていると顫動する楕円形の塊が生じる。

実例5
死んだ小鳥を撫でながら悲しんでいる少年の周囲には絡み合う感情的苦痛が展開される。深い悲しみは強烈な渦を生み出す。

こうしてみると、バラデュックが得た画像は精神映像の投影ではなく、エーテル物質が振動した結果であると思われる。結果のみを見て正確な判断を下すのは困難であり、霊視によるサポートが必要となる。物理カメラと感光板はアストラル・リサーチにとって最適の道具とはいえない。

「ここに出す思念形態の画像は以下の手法によって得られた。二名の神智学系霊視者がお互いに一定の思念によって形態を作り、それを観察する。また様々な感情の影響下のもとに投射する形態を観察する。霊視者はその形態を出来るかぎり正確かつ詳細に語り、それを横に控える画家がスケッチにし、着色し、霊視者が見たものに近づける。さらに委員会を開いて検討を重ね、最終形を決定する。鈍い地上の絵の具で出来るかぎりのことを行った結果、一応の画像が得られたといえる」

思念形態とは元素霊の体を持ち、思念を魂とする形状である。人工的精霊と称されることも多い。白魔術師あるいは黒魔術師によって作成される場合、たいへんな力を秘めている。

思念形態の生成には3つの一般原則がある。

1 思念の品質が色彩を決定する。
2 思念の性質が形状を決定する
3 思念の明確性が輪郭の明確性を決定する。


色彩

信仰と献身は美しい青を生み出す。無私の信仰ならば青に透明感が加わる。教会ではこの種の思念形態が雲状となって目撃される(図1)。



図1 図2 図3
図4 図5 図6


怒りは赤を生み出す。野蛮な憤怒は赤から赤茶色を生む(図4)。根拠ある義憤であれば鮮やかな緋色となる。

愛情は薔薇色を生み出す。動物的な愛情であれば赤茶ける。嫉妬が混じれば緑色が入る(図10)。

知性は黄色を生む。霊的な事物へ向けられる純粋知性であれば美しい絶妙の黄色となり、利己や野心が混じればオレンジがかる(図12)。


形態

唯一神に捧げる信仰は花となる。自己犠牲や献身の思念は青い炎のような花弁を生む。五芒星はロゴスに向けられた思念であり、宇宙の法則との調和にして神の本質の表現である(図3)。幾何学形状の思念すなわち円、立方体、ピラミッド、三角形、五角形、二重三角形その他は宇宙秩序ないし形而上概念を表す。




図7 図8 図9
図10 図11 図12



図4に見られる「黒雲から赤い閃光が発する」模様は、ロンドンのイーストエンドにて半泥酔の荒くれ者が女性を殴打した際にオーラ内にて観察されたものである。

鋭い短剣状の思念(図5)は常時復讐の炎を燃やす人間のもので、積年の恨みに端を発する殺人的意志といってよい。
怒りが爆発する際の思念は図6に見てとれる。単なる激情よりもはるかに危険である。

愛情の思念のなかでは図8のそれがとてもよい。明確に定義され方向性も明確な愛情である。
図9の思念は愛にはちがいないが、与えるというよりは貰うほうで、自分にひきつけて離さないタイプである。

図10の愛は嫉妬とまじりあっている。このタイプの思念は本人のオーラ全体を覆い、なんとも不快な振動を放つ。本人を苦しめ、近寄る人にも不快感を与える。

図12は強力な野心の特徴をよくそなえている。これは鋭い知性と気高さを持ち合わせ、公益のために権力を欲する人物のオーラから採取した。野心的要素が鉤状の形によくあらわれている。

輪郭
これは思念の明確性の程度次第であり、実のところ輪郭がはっきりすることは比較的珍しいといえる。図1、2,3の場合、曖昧かつ夢のような信仰が1の雲状の輪郭を生んでおり、また大多数の人が放つ思念は図11のようなものとなる。図4や5に見られるくっきりとした輪郭は憎悪の念をもって特定の対象に向けられる際に見られる。

投影者の姿をとる思念形態も存在する。どこそこに行きたい、あるいはだれそれに会いたいと強く念じると、思念形態が投影者の姿をとってその場やその人のまえに出現するのである。これをアストラル体の投射と間違えてはいけない。

愛をもって誰かを守りたいと強く念じるなら、思念形態はその人物のもとに赴いてオーラ内にとどまり、防護壁の役割を果たすこともある。母親が遠く離れたわが子を思うとき、その念は守護天使となるのである。

個人に対して善であれ悪であれ思念が投射されたとき、相手のオーラ内に共振要素がなければ徒労に終わる。悪の思念が効果を発するには相手のオーラ内に悪の要素が必要なのである。純粋な清い心は悪の思念に対しては不導体となる。悪の思念は弾かれてしまい、送り手のほうに逆流することになるのである。

from Lucifer Volume XIX (London: Theosophical Publishing Society, 1897), pp65-75.




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