「黄金の夜明け」団とタロット・カード

【動機】

 「黄金の夜明け」団創立のきっかけとなったものは、かの「暗号文書」である。この点にはだれも異論がないはずである。そして「暗号文書」の作者=ケネス・マッケンジーという説が複数の有力研究者によって唱えられており、ほぼ定説となりつつある。これも異論は出ないであろう。

 ではマッケンジーが暗号文書を作成した目的は? ここでぱたりと議論がやむようである。ギルバート翁も「マッケンジーの動機は当分謎のまま残るにちがいない」と語っている(1)。

 そして今回、小生が手を出そうとしているのはまさにこの部分、「マッケンジーの動機」である。

【状況証拠】

Hermetic Brothers of Egypt

エジプトのヘルメス朋友

はるか古代から存続するオカルト結社。階級制を有しており、また秘密の合図と合言葉を用いる。科学、哲学、宗教を独自の方法にて教授する。
団体の規模は決して大きくなく、また現時点で同団体に所属していると称する人物たちの言葉を信ずるならば、かれらが相続してきた事物のなかに賢者の石、生命の霊薬、隠身術、超生命体との直接交信術等が含まれるという。筆者はこれまでこの宗教哲学集団の実在を主張する人物とは3人出会った。かれらはみな、自分もそのメンバーの一人だと暗に言及していた。かれらの誠実を疑う余地は微塵もない−−3人ともお互い見知らぬ同士であったし、それなりに有能にして非の打ち所のない生活を送っており、謹厳実直といってよい人柄だった。全員が一見して40から45歳ほどの男性であり、大変な博識の持ち主だった。語り口は簡素で飾り気がなく、各国語に通じていることは疑う余地がない。質問には喜んで答えてくれるが、根掘り葉掘り訊かれることは好まないようである。一カ国に長期間とどまることはせず、人目を引くことなく退去していった。また必要以上に敬意を払われることも好まなかった。以前の生活のことは語らないが、過去の話をする際は、必要なことだけを権威をもって語っていた。あたかもすべての状況に関する個人的な知識を持ち合わせているかのような物腰を見せていた。かれらは宣伝を欲しなかった。いかなる議論議題においても練達の程を見せた。かれらはつねに敬意をもって接せられる人種であり、巷間の神秘教授たちとは一線を画していた。
-- Kenneth R.H. Mackenzie, Royal Masonic Cyclopaedia (London: John Hog, 1877), p.309)


 「黄金の夜明け」団創立の契機が暗号文書にあり、暗号文書はマッケンジーが作者であると想定される。そして暗号文書製作の動機がわからぬとなれば、とりあえずはマッケンジーの人となり、人生、著作物等をあたり、それなりの見当をつけるしかないであろう。ゆえに小生も小生なりにコツコツとマッケンジー関連を調べていた。今はとりあえずの中間報告という感じであれこれ書くしかない。

 結論から先に言ってしまうと、上に引用したマッケンジーの一文、これが後年のGDの原型といってよい。マッケンジーはこの集団に関して1874年4月刊行の英国薔薇十字協会会報『ロジクルッシャン』でも触れており、いわく「きわめて閉鎖的な性質を有する集団である。わたしは6人しか会ったことがない。うち、二人はドイツ人、二人はフランス人、残る二人は他の国の人間だった」(2)。

 もちろん、この「エジプトのヘルメス朋友団」が実在したとは思われない。マッケンジーの『メイソン事典』は、ジョン・ハミルの言葉を借りるなら「翻訳と剽窃と純粋空想を編纂したもの」であって、およそ信頼性に欠ける(3)。固有名詞ひとつ出さないこの記述など、純粋空想の代表格なのである。

 小生が考えでは、マッケンジーの「エジプト団」のヒントとなったものとしては、古くは当然ながら薔薇十字団、そして近接の影響源としてポール・クリスチャンの『魔術の歴史』(1872)にある「エジプト密儀団」が有力候補である。後者に関してはすでに当サイト内にておおざっぱにまとめてあるので、そちらを参考にしていただきたい(資料室、古文書保管庫内、クリスチャンのタロット)。

 ようするにマッケンジーはポール・クリスチャンの「エジプト密儀」を参考に架空組織「エジプト朋友団」を考案し、名前だけでも業界に認知させようと『メイソン事典』に収録した。さらに後年、タロット本を書くにあたり、やはりタロット参入儀式を描くクリスチャンを参考にしつつ、より説得力のある方向でイニシエーション・ファンタジーを展開しようと試みた。その際の儀式手順の下書き、それが今に伝わる「暗号文書」となった。

 クリスチャンの「エジプト儀式」は、それとは明言せぬものの「薔薇十字の原型にしてメーソンの源流」という設定を有している。また組織は位階制にして、位階名すら後年の「黄金薔薇十字」と共通するものにしてある。そして大事なことは、かれらの文書は暗号で記されると明言されている点である。クリスチャンはご丁寧にもその暗号まで『魔術の歴史』で紹介している。以下はその現物である。






しかしクリスチャンの「エジプト儀式」はあまりに突拍子もなく、またすぐにネタ割れする要素を含んでいる。ピラミッドやスフィンクスの地下に広がる儀式場といったフィクションは、ちょっと本気で調査されればおしまいなのだ。おそらくマッケンジーはこの点を鑑み、あまり突飛な空想を織り込むことはしなかった。むしろ大英博物館で発見できるものや、トリテミウス式の代用アルファベット等を用いることで、信憑性を増そうと考えたのであろう。


【その後】

 マッケンジーのタロット本は結局日の目を見ることなく、本人も1886年に死去してしまった。その後、「暗号文書」はウェストコットの手に渡り、マサースの儀式書き起こし作業を経て「黄金の夜明け」団の創立へとつながっていくのだが、ここにひとつ考慮すべき問題がある。「暗号文書=マッケンジーの創作」が事実であるとして、そのことをウェストコットは承知していたのか。承知していたとして、どこまで創作と思っていたのか。すなわち、実際に目撃したドイツの儀式のメモと思っていたのか、100パーセントの創作と思っていたのか。

 そういったあたりをひとつひとつ、検証していきたく思う。


1 R.A. Gilbert, "Provenance Unknown: A Tentative Solution to the Riddle of the Cipher Manuscript of the Golden Dawn" in Darcy Kuntz The Complete Golden Dawn Manuscript (Edmonds: Holmes Publishing, 1996), p.25.

2 Ellic Howe, The Magicians of the Golden Dawn (London : RKP, 1972), p. 29.

3 John Hamill ed. The Rosicrucian Seer (Wellingborough, Northamptonshire: Aquarian Press, 1986), p. 90.




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