Sturm, Frank Pearce

フランク・ピアース・スターム

(1879-1942)

☆ 英国の詩人、翻訳家、医師、オカルティスト。イエイツのオカルト交友関係における重要人物。

 1879年6月16日、マンチェスターにて出生。父親は貿易商。
 1901年アバディーン大学医学部に入学。この頃すでにオカルトおよび文筆方面への興味が発芽しており、また、父親が事業に失敗して経済的に困窮。結果としてスタームが文筆で小金を稼ぐための背景が整う。
 1903年頃にイエイツと出会う。文筆にて身を立てることを相談するも、イエイツより医療業務に固執せよとの助言を貰う。
 1904年5月、アバディーン大学医学部在学中の才媛シャーロッテ・ファニー・オーガスタ・シュルツと結婚。
 1905年、ボードレールの英訳を発表。高い評価を得るも文筆のみにて生活費を稼ぐに至らず。これをもってスタームの文筆キャリアは一段落となる。
 1906年7月、妻シャーロッテのほうが医学部を先に卒業。
 1907年7月、夫フランクがようやく医学部を卒業し、医師として活動を開始。
 1911年、耳鼻咽喉科専門医としての技量が世間に認められるようになる。外科修士の学位を取得。
 
 1915年、一次大戦の勃発により、軍医として陸軍に召集される。
 1917年、フランスの前線にて毒ガス攻撃のため負傷。
 1918年、軍医大尉の肩書きを貰って除隊。この時期、療養中の手持ち無沙汰も手伝い、ふたたび文筆とオカルト方面への関心が再燃。

 1918年、神智学協会出版部よりオカルトエッセイ集『ウンブラエ・シレンテス』を刊行。
 1921年、詩集『エターナル・ヘレン』を刊行。しかし公刊物としてのスターム作品はこれが最後となる。

 1924年、人智学協会に入会。以降、夫婦でオカルト方面の追求を開始。プランシェットによる霊交信等を試みる。家庭内にラッピング等の現象が多発とのこと。

 1928年、アバディーン大より医学博士号を授与される。

 1937年冬、心臓発作を経験。
 1938年春、体調不良により医療より引退。
 1940年11月、妻シャーロッテ死去。
 1942年2月23日、脳内出血により死去。

 イエイツとの交流はA Vision の内容と占星術に関する情報交換を主としていた。スターム本人は次第に仏教の静謐に惹かれるようになり、日々の瞑想を日課としていたという。

 

主要著作 An Hour of Reverie, Elkin Matthews, London, 1905.
Umbrae Silentes, Theosophical Publishing House, London, 1918.
Eternal Helen, Basil Blackwell, Oxford, 1921.

translation of Baudelaire: The Poems of Charles Baudlaire, with an introductory study, Canterbury Poet Series, London, 1906.

参考文献 Richard Taylor edited, Frank Pearce Sturm His Life, Letters, and Collected Work, University of Illinois Press, 1969.


目次に戻る