魔術師と二人の術士
回想 : コートールド美術館
1984年秋、小生はロンドンで魔術研究に没頭しておりました。主戦場はウォーバーグ研究所。敵はガードナー文書を筆頭とするGD文献、およびクロウリー私文書でありました。
さて大英博物館がありまして、すぐそばにロンドン大学があります。そのちょいわきにウォーバーグ研究所があって、さらにコートールド美術館が隣接しておるのです。
この美術館は、サミュエル・コートールドというお金持ちが印象派のコレクションを寄贈したのがきっかけで開館されました。その後、次々に貴重な美術品が寄贈され、近代美術の一大巣窟と化しておるのです。無論、近代もののみならず、フランドル派の巨匠のコレクション等も寄贈され、それは盛況。
寄贈というのはある意味おそろしい。しょうもないものでも貰った以上はありがたく保管しなければならない。この意味においてコートールド美術館がもっともありがた迷惑と思っている一連の寄贈絵画群が存在するのです。すなわちレディー・フリーダ・ハリスが描いた『タロット・オブ・ジ・エジプシャン』、一般にはトート・タロットと呼ばれているあれです。。
小生、コートールドにトートが保管されていることを知っておりましたから、是非一度は肉眼で見ておこうと思っておったのです。さいわいウォーバーグの所長から「なにか希望があれば言ってくれ、なんでも役に立つから」との社交辞令をいただいておりましたから、お言葉に甘えてとばかりにコートールドを紹介していただいたのです。ちょっと嫌な顔をされたような気がしましたが、それこそ気のせいとかたづけて、紹介状片手にコートールドに乗りこむのでありました。
で、まあ、いろいろとやりとりがありまして。コートールド側も嫌な顔をしているような気がしましたが、これも気のせいでかたづけて、お目当てのトートの原画にたどり着いたのであります。原画はちょうどB4くらいのサイズで、一枚一枚、頑丈な額縁に納まっておりました。小生、感動しながら眺めておって、ふと妙な気がしたのですな。
「いったい、全部で何枚あるんだ?」
さよう、軽く数えたところ、全部で83枚はあるのですな。未完成のコートカードが3枚、世に出なかった魔術師、術士それぞれ1枚ずつ。
世に出た大アルカナ第1番、それとは別に二枚、なぜに魔術師/術士ばかり三枚もあるのか。当時はそれほど深く考えなかったのです。気にくわないから書きなおしたのだろう程度のことで。
で、最近になって「はっ!」と思い当たったのですわ。
現在市販されているトート・タロット・カードには問題の二枚のカードが入っています。本来ならこの場で三枚並べて表示すべきでしょうが、版権の関係でできません。トートをお持ちの方は三枚のカードをご確認ください。
便宜上、もともと発表されていた術士を「ピカデリー」、肩先から腕が何本も伸びている術士を「千手メルクリ」、猿の上で両手両足を広げているのを「まんじメルクリ」と称しましょう。
で、この三枚中、問題となるのは「魔術師」のタイトルを持つ「まんじメルクリ」でありまして、小生の想像するに、この札は1940年以降に描かれて没になったのではないか。よく眺めてみると、背景に描かれているのはヘビかドラゴンか、ともかく爬虫類系のうろこを持つ長い胴体であり、それが四箇所でとぐろを巻いている。そのとぐろの位置にトート/メルクリウスの両手両足が重なっていて、まわりに杯だの円盤だの四大象徴が舞っている。さらに上下の構図は砂時計のそれなのですな。
すなわちこの「まんじメルクリ」は「北極周辺の四エースに象徴される諸力の渦巻き周転の法則」(いわゆる竜の術式)を表現しておるのです。
クロウリーは『春秋分点』にて黄金の夜明け団の「Tの書」を発表していますが、この竜の術式には一切触れておりません。なぜかといえば、ようするにこの術式はウェストコットとマサースが考案した高等教義であり、早々にマサースと離反したクロウリーには伝わっていないからです。
またこの三枚の魔術師たちはさらに大きな疑問を提示しています。このタロットの製作に当たってイニシアチブを握っていたのはほんとうにクロウリーだったのか、という根本的疑念であります。クロウリーがフリーダ・ハリスに対してこれこれのデザインで描けと綿密な指示を出していたのであれば、ここまでデザインが変わるはずがないからです。むしろフリーダが自由に描き、クロウリーの助言を受けて若干の修正を加える場合もあるという形式だったのではないか。このタロットの第一回展示会にクロウリーの名前がなかったのは世間の悪評を恐れての処置とされていますが、それ以上にフリーダ・ハリスがクロウリーの役割をあくまでも従と見ていたからではないのか。
「まんじメルクリ」に見られる竜の術式はフリーダ・ハリスが独自に発見して組み入れたものだったとも考えられます。意外に見落とされがちなことですが、フリーダのタロット製作時にはすでにリガルディーの黄金の夜明け4巻本が刊行されているのです。ここにあるTの書および竜の術式をフリーダが参考にしていたと考えるのはごく自然でありましょう。
クロウリー自身はタロット計画を自分の主導のものと確信していたでしょうから、自分の知らない「竜の術式」は心地よい存在ではない。なによりリガルディーにものを教えてもらうという形になるのが嫌だった。そこで「まんじメルクリ」はボツとなり、そのまま放置されてしまったのでしょう。
1944年発表のトートの解説書『トートの書』は、竜の術式など無視しているのです。
コートールドで原画を眺めているときに思いついておけば、もっと研究の仕方があったものをと後悔しきりです。
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