そもそもいかなる研究といえども、顕微鏡もあれば展望台からの対地双眼鏡もあるわけで、ひとつの見方にこだわってはいけなかったのであります。 |
天正カルタの棒のエース |
面白いことに、このカードの伝承が残っている場所はインドのゴア、スリランカ、マラッカ、セレベスといった港町であり、そして日本なのであります。わが国では天正カルタとして伝わり、のちにウンスンカルタに変形しましたが、竜はしっかりと生き残っておりますわ。 ドラゴン・カードは大航海時代のポルトガル人のカルタであり、ポルトガルで考案されたにせよ、その主要な活躍の舞台は海の上、船の中だったのでしょう。そしてカルタ等の手慰みを必要とするほどの大航海は、天文学の発達なくしては不可能だったのであり、遠洋に乗り出す船乗りは程度の差はあれ天文学者であったといってよい。16世紀のインド洋上には、竜とカードと天文学が結びつく時間帯が存在したのです。星空に通暁した四人の船乗りが竜の札を手に卓を囲み、順番にカードを回してゆく。ここに哲学的あるいはオカルト的考察から宇宙論に至る素地があったと思われる。 そして上記のことぐらいは、カードの歴史に通じていたウェストコットやマサースならば、簡単に思いつくわけです。巧妙なかれらは、あえてドラゴン・カードの存在に言及せずに竜の周転法則を発表していたのでは、と小生などかんぐってしまいますわ。 ちなみにポルトガルの竜たちは、母国の制海権喪失とともに数を減じ、現在ではほぼ絶滅状態として世界中のカード研究者を嘆かせておったのですが、1970年代に入ってこともあろうに熊本県人吉市にてウンスン・カルタという形で生存しておることが発見されました。また青森県三沢市にてもドンツクなる名称で棲息しておったのですな。日本の田舎、おそるべし。 |