ポルトガルの竜

How to find a Key to the Symbolism of Tarot
( and rule the world )


 そもそもいかなる研究といえども、顕微鏡もあれば展望台からの対地双眼鏡もあるわけで、ひとつの見方にこだわってはいけなかったのであります。

 わが身の場合でいいますと、早い話、タロットにこだわりすぎて、プレイング・カード全体の流れを見落としていたことを最近、とみに反省しておるわけですな。その見落としの具体例を発表することで、さらなるこの方面への献身の誓いを表明せんということです。

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 古今東西、タロット研究とはおおむね大アルカナ研究であって、小アルカナは無視とまでは言わないが、軽視されがちだったと思います。しかしプレイング・カード史の立場から眺めてみると、これが面白いのなんの。今回はいろいろあるなかで、もっとも感動的な「ポルトガルの竜」のお話を少し。

 この不思議な竜に注目するに至るきっかけは、ご存知「黄金の夜明け団」の奥義文書「竜の周転法則」であります。ご存知ない方はタロット魔術館の奥伝をご覧くださいまし。小生としては、このややこしい法則をよくも考案したものだと感心しておったのですが、やはり何事にもヒントなりオリジナルなりが存在していたわけで。

 十六世紀当時、ポルトガル製作のプレイング・カードのエースにはすべてドラゴンが描かれておったのですわ。理由はわかりません。このカードはドラゴン・カードと呼ばれており、棍棒、剣、杯、コインの4スート、人物札三枚程度から構成されるもので、まさに小アルカナそのものといえるのですな。



天正カルタの棒のエース

 面白いことに、このカードの伝承が残っている場所はインドのゴア、スリランカ、マラッカ、セレベスといった港町であり、そして日本なのであります。わが国では天正カルタとして伝わり、のちにウンスンカルタに変形しましたが、竜はしっかりと生き残っておりますわ。

 ドラゴン・カードは大航海時代のポルトガル人のカルタであり、ポルトガルで考案されたにせよ、その主要な活躍の舞台は海の上、船の中だったのでしょう。そしてカルタ等の手慰みを必要とするほどの大航海は、天文学の発達なくしては不可能だったのであり、遠洋に乗り出す船乗りは程度の差はあれ天文学者であったといってよい。16世紀のインド洋上には、竜とカードと天文学が結びつく時間帯が存在したのです。星空に通暁した四人の船乗りが竜の札を手に卓を囲み、順番にカードを回してゆく。ここに哲学的あるいはオカルト的考察から宇宙論に至る素地があったと思われる。

 そして上記のことぐらいは、カードの歴史に通じていたウェストコットやマサースならば、簡単に思いつくわけです。巧妙なかれらは、あえてドラゴン・カードの存在に言及せずに竜の周転法則を発表していたのでは、と小生などかんぐってしまいますわ。

 ちなみにポルトガルの竜たちは、母国の制海権喪失とともに数を減じ、現在ではほぼ絶滅状態として世界中のカード研究者を嘆かせておったのですが、1970年代に入ってこともあろうに熊本県人吉市にてウンスン・カルタという形で生存しておることが発見されました。また青森県三沢市にてもドンツクなる名称で棲息しておったのですな。日本の田舎、おそるべし。


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