タロット寓意



キリストの生涯その3




ゴルゴタへの道 キリスト剥衣 架刑 降架
地獄降り 墓を訪れる女達 昇天 聖霊降臨
最後の審判 聖母戴冠    レクス・アモリス 


 さて、キリストの生涯の連続画も第三フェイズに入り、大アルカナとの類似点相違点が明らかになってくる。

 まず類似点だが、誰の目にも明白なのが「最後の審判」から「聖母戴冠」への流れであり、大アルカナの「審判」と「世界」に素直に合致する。逆にいえばこの二枚の合致ぶりがあまりに完璧だったため、「大アルカナ=連続祭壇画=キリストの生涯」を提唱しているといってもよい。

 「聖母戴冠」とは中世の聖人伝『黄金伝説』に見られる聖母信仰の項目である。高齢となったマリアのもとに大天使ミカエルが到来し、聖母に死を告知する。三日後、聖母は使徒たちにみとられ、大往生するのであるが、ここから一連のミラクルストーリーが始まるのである。

 キリスト同様、聖母も3日後に復活し、肉体もろとも天使たちの手で天上に運ばれるのであって、これを聖母被昇天という。このとき、懐疑主義者の聖トマスがあいかわらず不信の念を表明すると、中空から聖母の帯が降ってきた。それでトマスも納得したのである。以上の一連の手続きをずぼらに表現したものが「世界」のカードではないかと思われる。

 なお、聖母被昇天伝説はさらなるヴァリエーションを生み、マグダラのマリアにも被昇天伝説が生まれている。エジプトのマリア(俗にいう毛むくじゃらのマリア)にすら被昇天伝説がある始末で、中世前半になると聖女であれば全員被昇天する傾向もあったくらいである。

 「世界」のカードには4ケルビム、花輪、裸踊りの女、腰布が描かれており、すべてが聖母被昇天図に合致する。問題点があるとすれば、恐れ多くも聖母を裸婦として描くことはないという一点である。しかし、これがマグダラのマリア被昇天の図となると、もうスッポンポンで運搬されていくのであって、タロットの場合、おそらく両マリアが混同されて描かれているのであろう。

 キリストの生涯を大アルカナと照応させる場合、、処刑関連を「死」、復活前後を「節制」で受けることになる。「節制」に描かれる杯の天使をマグダラのマリアと解釈するといういささか乱暴な手口であって、あまり感心できない。むしろ節制は字通りに解釈し、大アルカナに迷い込んだ別要素として剛毅や隠者と一まとめにしておくほうが無難かもしれない。

 ともあれ、大アルカナの流れでいえば、「死」以降は天使、悪魔、塔、星、月、太陽という具合に現実離れ、浮世離れしていくのであって、この世の手続きを描いているとは思えないのである。

 「悪魔」に関していえば、おそらくニコデモの福音書にある「キリストの地獄降り」を表現しようとしているのではないか。ようするにキリスト登場以前に死亡した善人や義人が地獄で苦しんでいるとの前提で、その救済にあたるべくキリストが地獄に乗りこむという教義である。

 その後、恒星天、月天、太陽天と上昇し、最後の審判から聖母被昇天と流れれば、一応の筋は通る。

 「塔」がぽつんと取り残されるが、このカードはまぎれこんだ別要素すなわち聖人伝と解釈すればなんとかなるであろう。

 以上、キリストの生涯という観点から大アルカナを点検してみた。

 聖人伝としてのタロットに関しては、別ファイルにて触れられるであろう。



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