フクロウと鏡

The Marvellous Adventure of Tyll Owlglass 『ティル・アウルグラスの素晴らしい冒険』


 日本では『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』というタイトルのほうが通りがいい。中世末期のドイツに端を発する一連のトンチ噺というか、典型的なトリックスター物語というか、天性の悪戯者ティルの一生を赤子時代から葬式まで110余話で語るという代物である。

 ドイツ語ではオイレン=フクロウ、シュピーゲル=鏡であるため、英訳されるときはアウルグラスという表記になる。

 英訳ははや16世紀からなされているが、西洋魔術博物館所蔵の版は1860年のTrubner & CO 第2版である。

 この版にこそ近代西洋魔術にとって貴重な記述があるからである。

「アウルグラスの冒険には、見落としてはならない驚くべき特徴があります。すなわちオカルト科学あるいは類似した主題への言及が実に少ないという点であります。眼に見えない絵の話では、錬金術に触れる個所があります。そしてアウルグラスが絞首台に連れていかれるとき、群集はかれを魔術師と見なしており、悪魔の助けを借りて窮地を脱するであろうと信じているのです。しかしアウルグラスという人物は現実臭がきわめて強いため、かれをオカルト方面に結びつける話を採用する編纂者は少数だったといえるでしょう。実はそういった色づけの不在こそが、作者の腕前と深い意図をあらわしているのでしょう。この物語が記された時代背景からいえば、オカルト科学への言及は許されてしかるべきもの、あるいは当然だったのであります。すなわちアウルグラスが出版された時期は、魔術師や占星術師や錬金術師が大手を振って歩いていた時代です。コーネリウス・アグリッパがのちにわざわざ『科学と芸術の虚飾について』を出版してオカルト科学の濫用に警鐘を鳴らす必要を感じたほどの隆盛ぶりであり、トリテミウスがスペンハイムのベネディクト会修道院院長を務めていた時代なのです。そう考えれば、アウルグラスが魔法を使う場面を描こうと、あるいはそういった事情をほのめかそうとも、別段驚くべきことではなかったはずです。しかし実際には、アウルグラスは当時の民衆本の手本どおりといいましょうか、民俗風俗をふんだんに取り入れつつ、きわめて世俗的なのであり、ゆえに興味も価値も増大していると申せましょう
-- preface to the first edition, xxv.


 まえがきとしてこの一文を書いた編者にして翻訳者は当時26歳の若者であった。それがロンドンはラッセル・スクエア、バーナード街35番地に住んでいた Kenneth Robert Henderson Mackenzie すなわち「黄金の夜明け団」創立のきっかけとなった「暗号文書」の作者と目されるケネス・マッケンジーである。さらにマッケンジーは、ほんの子供の頃からアウルグラスが好きであったと記す。このプラクティカル・ジョーカーの遍歴に魅せられてきたのだという。

 そもそもマッケンジーはリヒャルト・レプシウスの『エジプト発掘報告』の英訳を皮切りに、若くして数々の専門書を訳し名をあげていた。そのかれにとってクリスマス商戦を意識した「アウルグラス」を訳すことは、それまでの学術書翻訳とは異なる意味合いを持っていたはずである。文人として一般大衆に認知してもらう心算もあったであろう。ともあれアルフレッド・クロウキルのカラー挿絵入り、エッジギルトの金色も鮮やかに登場した『アウルグラス』はたちまち版を重ねたのであった。

 マッケンジーのエリファス・レヴィ訪問の前年に記された文中に、すでにアグリッパやトリテミウスへの言及があり、しかも内容がアウルグラスである点は大いに注目すべきであろう。また未完成のまま終ったマッケンジーのタロット本においても、愚者の考察にアウルグラスが顔を出していたにちがいないと推察できるのである。


 さて、西洋魔術博物館所蔵の『アウルグラス』にはケネス・マッケンジーの贈呈文および署名が入っている。これまで暗号文書の作者をマッケンジーと推測する証拠として、暗号文書とヤーカー文庫に残るマッケンジー肉筆文書との類似性があげられてきたが、肉筆署名もまた比較検討の一助となるであろう。贈呈先のフレデリック・オソリー氏の詳細は残念ながら不明。


Frederick Ossory, Esq
from his greatly obliged
and obedient Servant
K.R.H. Mackenzie

May 3. 1860.



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