イェイツ魔術告白書簡

53 Mountjoy Square
July23, 1892

親愛なるオレアリー、コンサートの件は延期となりました。8月第2週、エンシャント・コンサート・ルームズの落成式集会の後になると思います。その頃になれば秋の定期公演プログラムも決まりましょうし、集会の際に配布できるでしょう。馬蹄週間後のコンサートは見ものです。公演開始の頃には専用図書室も確保できるでしょう。コンサート延期はルードウィッヒその他が遅れたためです。次の月曜、25日には総会を開いて会則を決め、役員を推薦します。図書室を手に入れ次第、「現代もの」を始めたく思います。協会関連のニュースはこれくらいです。

 マサースに関するわたしの提案について。上級者になったナショナリストはパリに行ってマサースに会うべきだと申し上げましたのは、ある程度クインの助言に従った部分があります。マサース本人の許可を得て、クインにかれの書簡を見せておりました。クインもあの件は重要であろうと考えています。マサースは専門家であり、同志には助言を惜しまないでしょう。「かれは使えるかもしれない」とはご自身のお言葉ではありませんでしたか。さて魔術の件です。わたしはこの四、五年、魔術を真剣に研究しております。詩歌を別にすれば、わたしの人生でもっとも重要な研究題目となっておりますが、それをもってわたしが「頭が弱い」だのとお考えになるのは愚の骨頂と申し上げておきましょう。それがわたしの健康によいか、悪いか、それは魔術のなんたるかを熟知する人間のみが判断すべきことであり、素人の出番ではないのです。いささかお叱りのお葉書をいただきましたのは、おそらくベドフォード・パークにおいでの際に父がわたしの魔術修行をこぼしていたのをお聞きになられたからでしょう。父はわたしがなにをしているか、なにを考えているのか、まったく無知なのです。魔術研究を日課にしていなかったなら、わたしはブレイク本をただの一語も書けなかったでしょうし、『カスリーン伯爵夫人』はこの世に生まれてこなかったでしょう。神秘生活はわたしの行動、思考、執筆、すべての中心です。ゴドウィンの哲学がシェリーの作品に果たした役割、それが魔術とわたしの作品の関係でもあります。今、世界で始まりつつある大いなる復興――知性に対する魂の反乱――、その声となる人間、それがわたしであるといつも考えておりました。とはいえ、このようなことを申し上げたためにお叱りの葉書をいただいたのでしょう。「魔術」という言葉はわたしの耳にはあまりに慣れ親しんだものですから、他人にはとんでもない響きを持つものであることを忘れてしまうのです。これはわたしの欠点でありましょう。

 ゴン嬢はパリの部屋をたたみました。おそらくアイルランドに居着いてこちらで仕事に専念するつもりではないでしょうか。現在はハンス・プレース25番地の姉の家におりますが、来週には戻るでしょう。ご自身はいつお戻りでしょうか? デュフィは一二週間後にこちらに出てくると思います。

 アームストロングの全集それも9巻というのをブックマン誌で書評しなくてはならず、その予告を今週のユナイテッド・アイルランド誌に載せました。ラーミニーと同様、かなり手厳しい扱いになっています。

 バリー・オブライエンが「よもやまばなし」を欲しがっておるのですか? わたしに相談するといっていましたが、いまだに音沙汰ありません。

 ハイドはゲール語サーガ翻訳の件でアンウィンに落ち着きました。かなりよい条件のようです。この件はデュフィにも知らせるつもりです。敬具
W.B.イエイツ


解説 : こういってはなんだが、多数のイエイツ研究者が恨みにこそ思え、およそ感謝しない書簡、できればなかったことにしたい書簡が上に訳出したオレアリー宛ての一通である。研究者のなかには刑事裁判まがいの論陣を張り、詩人が公開を目的として記した文章以外は研究の対象とするべきではないとして、いわば証拠不採用を訴えた者までいたくらいである。見ての通り、イエイツは本気で魔術を研究していると明言しており、魔術なくしては自分の作品はなかったと言いきっている。ここまで言われたら研究者たるもの、身の不運を嘆きつつもマサース、GDと小当たりに当たるしかなかったであろうが、この方面は不当に無視されてしまい、まともに光があたったのはジョージ・ミルズ・ハーパー以降ということになろうか。

 この書簡の受取人ジョン・オレアリー(1830−1907)はフェニアン運動の活動家であり、イエイツがもっとも尊敬してやまなかった人物のひとりである。オレアリーに宛てた書簡にて「魔術信仰告白」が行われた点が、いよいよ事態を深刻にしているといえよう。悪友のAEあたりが相手なら、いつもの冗談ということで片付けることも容易であったからだ。

 まあ、イエイツ研究者の気持ちもわからないではない。敬愛する作家が実はオカルトにはまっていたなど、それが事実としても認めたくないであろう。大多数のシャーロキアンにとって、コナン・ドイルの後半生が心霊術布教に費やされたという事実は、やはりこれは直視したくないのである。



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