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ファーガス・ハメル(1866−1942)
ウェストコット著『カバラ研究入門』(1910)に貼付。
ハメルは1903年に英国薔薇十字協会 SRIA に参入。1907年にV°、1915年にVIII°に達している。ウェストコットの次女エルシー・ブリジットの夫でもある。
卓上にはフリーメイソンリーの象徴であるスクエア&コンパス、さらに錬金術で用いるレトルト、時間の象徴である砂時計があり、右壁には薔薇十字と「カルペ・ディエム」(一日を摘め=一日一日を有意義に過ごせを意味するホラチウスの警句)がある。窓辺に置かれた花瓶の切花は華やかさと短命の象徴であり、それにとまろうとする蝶は軽佻浮薄である。
窓の外に広がる光景は手前から子供たちと犬、若夫婦、騎士、老人、担がれてゆく棺、さらに朝日となっている。一日のなかに誕生から死去までが凝縮されており、警句「カルペ・ディエム」を補完する。
左の壁面にあるエッティングの裸婦像は死と乙女のヴァリエーションか。モノグラムは一見するとアルブレヒト・デューラーのもののようだが、デューラーのそれにMが重なる形となっている。この蔵書票の作者がA.M.D.という頭文字の持ち主だったのだろうか。
そして老錬金術師はペンを手に天地自然の奥義をまさに書き記そうとしているのである。薔薇十字、錬金術関連の蔵書票としては出色の出来といってよいだろう。
なおハメルの妻エルシー・ブリジットは1918年に自殺をしている。ハメルと義父ウェストコットの仲は微妙なものにならざるを得なかったであろうが、ハメルはその後もSRIAに籍を置き続けている。
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M.カーチス・ウェブ
マックス・ハインデル著『薔薇十字の神秘』(1911)に貼付。
旧姓メイベル・ボーチャンプ、嫁してM.カーチス・ウェブ夫人、さらに再婚してトランチェル・ヘイエズ夫人となる女性のカーチス・ウェブ時期の蔵書票である。黄金の夜明け団アルファ・オメガ系の魔術師にして、ダイアン・フォーチュンの師匠として有名。
どこか北斎を思わせる波間、地球らしき球体、それを貫くが如き直線の光線、雲間より眼光を放つ女性の顔と、実に神秘的なデザインである。その意図するところは不明だが、ひとつの解釈としてはマルクト=花嫁に達した炎の剣、というところであろうか。それが海上に描かれる理由はこれまた不明なのだが、一説によればダイアン・フォーチュンの小説『海の女司祭』のヒロインであるル・フェイ・モーガンのモデルがウェブ夫人であるという。夫人と海のあいだには何らかの深い関係があるのかもしれない。右端下部に作者のモノグラムらしきものを収める角形があるが、サイズの関係上どれだけ拡大しても判読が難しい。北斎風の波と日本画風の画家印章があるため、全体ジャポニズムではないかとの指摘もなされている。
ウェブ夫人はのちにアルファ・オメガ派を引き継いで地道な魔術結社活動を行っていたが、2次大戦を前に諸般の事情で魔術結社活動を停止。儀式用具一切を箱につめて穴に埋めてしまった。
夫人の写真等はいまだ発見されていないため、この蔵書票の持つ価値は大きい。
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神智学クロトナ研究所
米国版『オカルトレヴュー』1915年後期合本号に貼付。
現在もカリフォルニアにて活動を続けるクロトナ研究所の蔵書票。
神智学協会の公式エンブレムであるウロボロス&ヘクサグラムにとまるハクトウワシ、ワシがくわえるスクロールには"Brotherhood
of Man"の文字。グレコ・エジプシャンの門の彼方にはギザのピラミッドが望めるという意匠。
この蔵書票はカリフォルニア州オーハイの記述があるため、研究所が同所へ移転した1926年以降のものとわかる。それ以前の蔵書票はデザインは同じながら住所はカリフォルニア州ハリウッドである。 |
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E・E・ド・ヘンゼラー
当博物館所蔵英国版『オカルト・レヴュー』半期合本の大部分に貼付。
スイスはローザンヌに暮らした医師にしてオカルト研究家であったヘンゼラーの蔵書票。
中央におそらくヘンゼラー家の家紋とおぼしきワッペン。知恵の象徴であるフクロウ(ミミズク)を両端に配し、上部にSemper-Altius
(常により高く)というモットー、下部にエクス・リブリスをスクロールで示す。左の見本は緑色だが、他に黒、赤も存在する。
当博物館のオカルト・レヴューはヘンゼラーのコレクションをもとに欠落号を買い求めて構成されたもので、いずれアンソロジーを編む際にはヘンゼラーの人となりを紹介する予定。ヘンゼラーの研究テーマは東洋神秘思想であり、インド哲学の伝播に関する著作を残している。
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W・E・カーネギー・ディックソン
イザベル・ド・スタイガー著『メモラビリア』(1928)に貼付。
別名を「歩く魔術結社」。旧GD団員、暁の星首領を経て後期アルファ・オメガとの統合首領にもなる稀有の人材。さらにフリーメーソンリー、英国薔薇十字協会会員でもあったW.E.カーネギー・ディックソンの蔵書票。
画面中に咲く花はスコットランドの国花であるアザミ、中央ヴィネットにエジンバラ大学オールドカレッジ。下部にある大英博物館の意味するものは黄金の夜明け団であろう。
スコットランド出身。実生活にあっては医師であり、ロンドンはハーレー街にて開業。医学方面の著作も多い。趣味は写真。
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デニス・バーデンズ
パール・ビンダー著『マフ・アンド・モラルズ』(1953)に貼付。
英国のジャーナリストにして心霊研究家でもあったバーデンズの蔵書票。作者はA.O.スペア。
1911年、サセックスにて出生。利発な少年なれど両親の別居等により家庭環境には恵まれず、教育面にても不遇。ウェールズにて新聞社のメッセンジャーボーイとなるが、すぐに辞職してロンドンを目指す。
1920年代、ロンドンにてフリーライターとなる一方、A.O.スペア等のオカルト関係者と交友。この方面への関心は生涯続くこととなった。のちに幽霊関係の名門クラブ
The Ghost Club
の運営委員。
2次大戦後はテレビ番組の制作やスクリプトを生業とする一方、さまざまな方面の著作を上梓、国際ペンクラブの会員にもなっている。
2004年、92歳にて大往生。
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アーサー・エドワード・ウェイト
アリス・メイネル著『その後の詩集』に添付。
ウェイトの蔵書が流出した経緯はギルバートのウェイト伝に記されている。いわく
1899年、イーストレイク・ロッジを売却したのち、ウェイトはガナーズベリー・パークのはるか向こう側に転居していた。サウス・イーリング・ロード31番地にシドマス・ロッジという、以前に較べればずっと陰気でない家を確保していたからである。一家はほぼ20年間、イーリングにとどまることになり、ウェイトはこの家を−−とりわけ書庫を誇りに思っていた。フィリップ・ウェルビーが回想するに「長方形の古めかしい部屋で、四面すべて書棚という造作だった。およそ考えられるかぎりの稀書、貴書、奇書が溢れかえっていた(1942年追悼文)。この家が売却されるとき、ウェイトにとって一番残念だったのは、ラムズゲートの新居では収納しきれないという理由でおよそ1500冊を手放さざるを得なかったことである。
ご覧のようにほぼ文字のみで構成された蔵書票は、ブックラベルと称される。ペンによる書き込みはウェイト本人のものであろう。
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エムスリー・ジョン・ホーニマン
トマス・カーライル『衣装哲学』(1898)に貼付。
エムスリー・ジョン・ホーニマン(1863-1932)はアニー・ホーニマンの3歳下の弟である。長じてはロンドン市会議員にしてチェルシー選挙区選出の自由党代議士、ロンドン北東部の貧困地域の再開発と教育事業に大いに貢献した人物でもある。この蔵書票の作成者はイラストレーターとして著名なロバート・アニング・ベル。エムスリーの屋敷のテラスから望むチェルシーの風景を描いている。
エムスリーは姉に見られるオカルト傾向を持ち合わせてはいなかったが、父親の紅茶王フレデリック・ホーニマンが有した収集癖は受け継いでおり、父が残した博物館をさらに充実させている。世界中に旅行し、各地の珍奇物を片端から持ち帰ったとのこと。正確な年月日は不明だが、少なくとも一度は来日しているはずである。
この人物がいかなる経緯をへてアニング・ベルと懇意になったかはわからない。 |
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トム・ケネディー
アルジャーノン・ブラックウッド『ケンタウロス』(1911)に貼付。
残念ながらトム・ケネディーの人物に関しては不明。
上部にスコットランドのケネディー・クランを象徴するドルフィン・クレスト。ファミリー・モットー
"Avise La Fin" は「終末を考察せよ」すなわち「死に際を潔くせよ」の意か。
書物の上に載せられた兜、背景に槍と剣。手前に神智学協会のマーク、さらに蓮の花。おそらくトム・ケネディーが興味を抱いていたものを表現していると思われる。
右下に蔵書票作者のモノグラムがあるが、作者名は判明せず。 |
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33位階、最高会議図書館
トマス・レイク・ハリス『人の内にある神の息吹』(1891)に添付。
簡単に言ってしまうと、米国フリーメイソンリー本部図書館の蔵書票。A∴A∴S∴R∴とは
Ancient and Accepted Scottish Rite の略。
上の建物はワシンドンDCにある本館。この建物は1915年完成であるから、蔵書票の作成もそれ以降ということになる。 |
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ジョンティー・ハナハン
ユージン・フィールド『ララバイ・ランド』(1898)に添付。
ジョンティー・ハナハン(1886-1967) はフロイト流精神分析の草分けとしてアイルランドで活動した人物だが、単なる精神分析にとどまらず、熱狂的な福音主義と合体したヒーリング・グループの中心として注目すべき存在である。
蔵書票が添付されていた書物は娘ロレーヌに贈られたもの。 |
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W.E.カーネギー・ディックソン
A.E.ハウスマン『続・詩集』(1936)に添付。
WECDの後年の蔵書票。名前欄を空けて書き込み式にしているのは、夫人と共用にするためと思われる。 |
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