タロットと聖母崇拝

 −− 無原罪の御宿り

 タロットに充溢するマリアン・シンボルを考察するうえで、もっとも重要なテーマが「無原罪の御宿り」 the Immaculate Conception である。すなわちイエスの聖誕に先立ち、その母胎たるマリアを原罪から解放された完全無垢なる存在とする概念である。

 この概念ははや紀元二世紀のオリゲネスの頃から提唱されており、中世を通じて数々の神学的補強を施された。カトリック教会的にいえば、1439年のバーゼル公会議にてほぼ公認の教義となり、1480年にはフランシスコ会の手で聖務が制定されている。もっともドミニコ会は聖トマス・アキナスが無原罪の御宿りを認めなかったという事情もあり、1373年に教義の誤謬を公に指摘するなど、常に批判的であった。雑な言い方をすれば、ローマカトリックの聖母崇拝にも派閥があった。ドミニコ会が主にロザリオ信徒会を通じて平信徒をまとめていたので、これに対抗すべくフランシスコ会が「無原罪の御宿り」を持ち出してきたともいえる。ロザリオ信徒会がドイツ方面に勢力を広げたのに対して、「無原罪の御宿り」はパリからスペイン方面を睨んでいた。

 ともあれロザリオには「薔薇園の聖母」という強力なヴィジュアルがあり、上はロッホナーやショーンガウワーの細密画から下は安物の木版までヴァリエーションにも事欠かない。また、ロザリオ数珠という決定的なアクセサリーが婦女子の心を捉えて離さなかった。この点で「無原罪の御宿り」は弱いというか、これという決め手になるデザインが存在しなかったのである。そこでやむをえず1480年頃、清らかな少女を空中に浮かせて周囲に雅歌起源のシンボルを手当たり次第にならべるという構図が生まれたと推測される。

 次にあげるものは1506年にパリで作製されたティールマン・ケルヴェール時祷書にある「連祷のマリア」図である。後年のムリリョやスルバランが描く「無原罪の御宿り」の原型であり、キリスト教にあって正面きって少女を崇拝対象とした最初の例ともいえる。(それまでのマリア像は申し訳程度とはいえ常にキリストとともにあり、どこまでいっても“母”であった)。また数々のマリアン・シンボルをタイトルつきで列挙している点がきわめて重要なのである。


ティールマン・ケルヴェール時祷書零葉 連祷のマリア

(165*115mm) 印刷、一部手彩色。ヴェラムに赤黒印字。頭文字、段落記号、終止埋め草に青地およびマゼンタ地に金文字による手彩色。

 中央に手を合わせて中空に浮く裸足の少女マリア。

 上空に半身にて描かれる父なる神、右手にて祝福、左手に十字宝珠。
 周囲は雲に囲まれる。父なる神の下のラベルは雅歌4章7節 「わが愛する者よ、あなたはことごとく美しく、少しのきずもない」。

 マリアンシンボルは時計回りに、「海の星」、「いばらのなかの百合」、「ダヴィデの塔」、「オリーブ」、「くもりなき鏡」、「庭の泉」、「神の都」、「閉じられた庭」、「生ける水の井」、「エッサイの花咲く棒」、「ヒマラヤスギ」、「薔薇」、「天国への入り口」、「月」、「輝く太陽」。


 


 マリアを囲む十五の象徴が空間的同時に並べられている点が、受胎告知から聖母戴冠までの時系列で表現されるロザリオ十五玄義とは一線を画するのである。もちろん空間的同時ゆえに、ポジショニングによる表現が存在する点も注目に値する。星、月、太陽はやはり上に位置し、閉じられた庭や神の国すなわち城壁都市にして新たなるエルサレムは下に配置されている。

 中世末期のキリスト教はほぼ聖母崇拝一色の観があり、ドミニコ会系の十五玄義とフランシスコ会系の無原罪の御宿りがシェアの奪い合いを演じていたといってよい。そしてここに聖遺物開帳や免罪符販売等の権益が絡みはじめたとき、必然としての宗教改革が到来したといえる。ルターが免罪符販売を公然と非難し、カルヴァンが各地に伝わる「聖母の乳」なる聖遺物的液体を揶揄して「われらの聖母は雌牛か?」と叫んだとき、めざとい印刷業者はカトリック批判の小冊子やブロードシートを受注しはじめ、それまで使用していた聖なるデザインを平気でパロディーに流用していくのであった。こういった状況下では、印刷業者の副業であった賭博用カルタ製作などデザイン面で混乱しても当然であったといえる。具体的にいえばロザリオ系と無原罪系のデザインを適当に合体させて一枚の札にするなど朝飯前であったのだ。そしてこの混乱は解決されぬままタロット的約束となり、17世紀のヴィーヴィルやノブレに引き継がれていったのであろう。

 たとえばマルセイユの代表格であるコンヴェルの「神の家」を例にとろう。

Ascension House of God


左は十五玄義に見るキリスト昇天図。画面からキリストの上半身が消え、足跡が残されるというのが絵画的約束である。この足跡はオリーヴ山の山頂に残され、そのあとに教会が建立されるのである。マルセイユの「神の家」をよく見れば、塔の基礎部分近くに足跡が残っているのがわかるであろう。この札はマリアン・シンボルとしての塔、オリーブ山の足跡、さらに地獄への入り口としての建物、この三つの要素が合体していると見なしてよい。


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参考図版

 「無原罪の御宿り」は17世紀に入ってムリリョやスルバランといったスペイン系の画家たちが好んで題材としている。下はプラド美術館所蔵のスルバランによる作品。マリアの姿勢、雲間に見える数々のシンボルは、ケルヴェール時祷書のそれと同一である。

Immaculate Conception