GT少女 ミリー  Millie the GT girl

ほとんど魔術とは関係ないトピックですが、魔術花壇作成の副産物として報告しておきたいと思います。

 小生、魔術花壇作成のために数種類のシェイクスピア・バースデイ・ブックを集めたのですが、そのなかに一冊、明らかにとんでもない来歴を有するものがありました。そのあまりの面白さに時を忘れて点検すること久しく、小生はついにこの書物のもとの持ち主を「GT少女」と名づけるに至ったのであります。

 「GT]とはグランド・ツアーの略であります。19世紀後半、経済的に余裕の出来た英国富裕層の間で流行った大旅行、それこそ数年をかけて世界を回るという代物で、メイドや家庭教師も引き連れて、合計十数名の大一座となる場合も多かったようです。われらの「GT少女」は大旅行に出るに際し、ハチャード社の「シェイクスピア・バースデイブック」を持参し、旅先で出会った人々に片端から署名をねだったのです。(おそらく)お金持ちのお嬢様に署名をねだられて断る人も少ないでしょう。結果として彼女のバースデイブックは何百もの署名が集まり、さらに本人の書き込み、落書き、似顔絵と百花繚乱状態。

その楽しさを当サイトのお客様にもお伝えできればと思いまして。


まず、当人の署名、さらにパスポート番号です。

ノースショアとは、おそらくニュージーランドのノースショアでしょう。このバースデイ・ブックに残る署名の多くがニュージーランド人のものである点から推測します。

大旅行に際してパスポート番号を記すあたりに気合の程が感じられます。

この旅行がいつ行われたのか、確定的な数字はいまだ出ないのです。このパスポートナンバーを手がかりに、ニュージーランド外務省に残っている(であろう)出入国記録を参照すればなんとかなるかもしれません。





中扉に残るイラストというか落書きというか。
ミリーの仕業と思われます。なにやらパゴダがあり、女神風の顔があり、
おそらく彼女が巡った諸国をあらわしているのでしょう。
この状態のまま外界に持ち出したわけで、結構いい度胸の少女のようです。


バースデイブックの基本型式です。見開きの左ページに月日と引用文(詩句、格言、聖書etc)、右ページはブランクで、そこに該当誕生日の人が生年と署名を記します。

ミリーのバースデイブックはどのページにもこのくらいの署名が残っています。一日あたり3,4人入っているとすれば、総数は1000をl越えるでしょう(数える元気は小生にはありません)。



若い男性の似顔絵があります。
ミリーの絵にしては上手すぎます。あるいはこの似顔絵はずっとあとになって描かれたものか。それとも直上の署名(読めん!)の主がさっと描いていったものか。インクの質は同じような、そうでないような。






ヘンリー・ウェバー船長の署名の横に、そのお姿らしきシールが貼られています。
R.M.S.とは Royal Mail Steamer 、
すなわち逓信省郵便蒸気船ジランディア丸の船長ですから、
切手風のシールを配って歩いていたのでしょうか。


日本からも署名参加者がいます。M(?)ブロンリー、ヨコハマ・ジャパンとのこと。
「ドクター・コスグローヴの1909年のイースター・ボネット」というイラストと書き込みはなにを意味するのでしょう。なんか頭に大根がささっているような。

コスグローブといえばミリーの苗字です。ボネットは女性用の帽子ですから、すると彼女のお母さんか叔母さんが女医さんか。あるいはミリー本人が女医になったのか。

それにしても肉筆署名とはなんとバリエーションに富み、かつ魅力あるものなのでしょう。有名人のものでなくとも、時代を経た署名はそれだけで一個の資料となっています。
巻末にきわめて薄い鉛筆で描かれた横顔がありました。これでもコントラストをあげて見やすくしているのです。結構スピードのある運筆のようで、手馴れた感じです。


 ざっとした印象としては、このバースデイブックは1880年代前半にミリセント・コスグローヴにプレゼントされ、それがグランド・ツアーに出たのが1890年頃。そのまま使われ続けて、1915年頃についに全ページが署名で一杯になったためお役御免となったものと思われます。それがなぜか古書市場に流れ、小生の書斎にたどりついたのですな。

 とりとめなく記してまいりましたが、このバースデイブックの持つ不思議な魅力の半分もお伝えできたかどうか。

 ともあれ「西洋魔術花壇」がヴィクトリア朝の「少女オカルティズム」の中核に迫る作業であるとすれば、当の「少女」たちの生資料に接することも重要なプラクティスには違いないのです。と詭弁を弄しつつ。


 

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