グレイ書店の大いなるあやまち

 ことの発端はジョン・シモンズに語っていただきましょう。


 「1933年1月7日、クロウリーはロンドン、プラド・ストリートを歩いていた。立ち止まってとある書店のウィンドウを覗きこんでみると、自分の小説『ムーンチャイルド』が置いてあり、次のような言葉が記されたカードが付けてあった。“アレイスター・クロウリーの最初の小説『麻薬常用者の日記』は扇情的報道によって攻撃された後、市場から回収された”。
 “プラド・ストリート23番地にて名誉毀損を発見”、「獣」は日記にそう記すと、弁護士のもとに向かった。
 限りなき名誉毀損に終止符を打たねばならない。そうなったのは半分は自分のせい、半分は世界のせいである。あまりに長らく放置していたため、事態はとんでもない域に達していたのだ。
 5月10日、裁判が行われ、クロウリーの勝訴となった。
 ベネット判事いわく、「クロウリー氏が書いた著作が不品行あるいは不適切と示唆すべき根拠は微塵もない。***氏(書店店主)は一般大衆に対して、このラベルが添付された著作がいかがわしいものであると信じ込ませようとしていた」。
 クロウリーは訴訟費用プラス損害賠償として50ポンドを得た。 
John Symonds, The Great Beast (London: Rider and Company, 1951), p. 285.

 ちなみに1971年に出た増補改訂版の The Great Beast (London: Macdonald & Co, 1971) では***氏のところにグレイと記してあります。

 簡単に言ってしまえば、パディントン駅前通りの本屋さんが『ムーンチャイルド』にわざわざ自家製の宣伝カードをつけて、そのなかで誤った記述(市場から回収)をやってしまった。たまたまそれを発見したクロウリーが本屋さんを訴えて、賠償金を得たということです。当時の50ポンドは、今でいえば20万円くらいでしょうか。これで味をしめた666は、続いて旧友ニーナ・ハムネットを訴えるという行動に出て、大失敗してしまうのです。

 さて、小生の蔵書である Moonchild (London: Mandrake Press, 1929) はこのパディントン駅前通りのグレイ書店で販売されたものであります。なぜそれがわかるかといいますと、問題のラベルが添付されておるからなのです。



筆者蔵書、中扉 添付ラベル拡大図


MOONCHILD. A MAGICKAL NOVEL BY ALEISTER CROWLEY

This entrancing story, by one of the most mysterious and brilliant of living writers, describes
the magickal operation by which a spirit of the moon was invoked into the being of an expectant
mother despite the machinations of the Black Lodge of rival magicians. Exiting plots and
counter-plots lead up to the Great Experiment, which takes place in a certain "Abbey" in
Sicily. Flashes of humour and invective, passages of romance and serene poetic exaltation, a
lucid narrative style, and an astonishing ending make this novel really memorable. Aleister
Crowley's first novel, The Diary of a Drug Fiend, was withdrawn from circulation after an
attack in the Sensational Press.


 全体イタリック体にて、青文字で印刷されております。ざっと訳してみますと、「現存する作家中、もっとも謎多き、そして秀逸なる一人による魅惑のストーリー。敵対する黒魔術師ロッジの陰謀をかいくぐり、月の霊を妊婦に呼びこむという魔術作業。興奮のプロットが、伏線が、シシリー島の“僧院”で行われる“大いなる実験”へと昇華する。きらめくユーモア、悪口雑言、ロマンス、静謐なる詩的昂揚、明晰なる語り口、驚愕のエンディング、すべてがこの作品を忘れがたき一冊とする。アレイスター・クロウリーの最初の小説『麻薬常用者の日記』は扇情的報道によって攻撃された後、市場から回収された」。

 見ての通り、ポップとしては上等の部類でしょうし、何ら問題はないと思われるのですが、たった1点、市場回収云々が事実に基づかなかったため、グレイ書店は大損をするはめになったのであります。他山の石。

 このラベルがどのくらい現存しているのか。どのみち初版2500部しか出ていない『ムーンチャイルド』であります。グレイ書店で扱った部数とてたいしたことはないでしょうし、訴訟沙汰になってから慌てて処分したに決まってます。貴重といえば、貴重でしょうか。



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