愚者の持ち物 2


 マルセイユ版を代表とする巡礼型愚者の場合、英語で scrip, wallet, bundle と称する鞄が定番小道具となる。またこれに杖を加えて scrip and staff と頭韻を揃え、巡礼の描写とする。

 カトリック大辞典によれば、巡礼の服装はおおむね以下の如きものであったという。


 中世の巡礼の服装はゆるやかなフロックないし長めのスモックからなり、そのうえにケープ付きのフードを羽織る……頭上には鍔広の浅目帽子(枢機卿の紋章としてよく知られる)をかぶる。悪天候の際はあごのしたで紐をしばる。紐は長めにしておいて、帽子を使わないときは背中にぶら下げる。肩から腰にベルトを通して革鞄をさげ、聖遺物や食料やお金を入れておく……片手で杖をつく。この杖は二本の棒を柳の細枝等で縛り上げたものである……この杖はときに本来の用途以外で用いられることもある。1487年4月3日聖リカルド日、チチェスターのストリー司教は杖の携行を禁止する緊急布告を発している。聖人の墓所の前で多数の巡礼同士が順番をめぐって杖で殴りあい、死者まで出たためである……手に鐘や楽器を持つ巡礼もいる。「バグパイプを持ち歩く巡礼もいる。ゆえに巡礼が通り過ぎる町では、かれらの歌声とバグパイプとハンドベルの音が鳴り響き、追いかける犬の吠える声までが加わるため、王がお抱えのラッパ吹きと吟遊詩人を全員連れてきてもここまでは騒々しくないだろうというほどの騒音となる」(Fox, "Acts", London, 1596, 493).

from The Catholic Encyclopedia, "Pilgrimage"


 中世当時、旅立つ巡礼に教会で鞄と杖を渡す特別の儀式があったという。"Blessing of Scrip and Staff"と称されるそれは、鞄と杖を祭壇に乗せて聖水を振りかけ、祈りの言葉とともに巡礼者に渡し、旅の無事を祈願する。むろん、中世末期ともなれば巡礼も往々にしてただの観光旅行となり、旅の恥は掻き捨てとばかりに各所悪所で不道徳のかぎりを尽くす輩が横行するのであって、それは『カンタベリー物語』でも瞥見すれば瞭然である。

 巡礼の鍔広帽と服装に関しては、下左の17世紀初頭に製作された木彫による犬つき聖ロクスが参考になるであろう。おそらく右手に杖をついていたのであろうが、杖は失われている。右はマルセイユの愚者。


St Roch The Fool


 なお、巡礼という行為自体がカトリック教会にとってかなり矛盾をはらんだ代物であった。各地の聖人のご加護を得る、あるいは願望成就という発想はローカル・ゴッドの存在および意義の肯定に他ならないのであり、唯一神のユニヴァーサリティーと衝突するのである。しかし巡礼が生み出す物心両面の交流は各都市間にあってきわめて重要なファクターであり、また各都市の教会にとっても無視できない財源であった。欧州各都市の教会や聖祠では、かなりあやしげな聖遺物を開帳し、また聖遺物グッズを販売していたようである。たとえばドイツ南部のアーヘンには「イエスの産着」「十字架に張り付けにされたときの腰布」「バプテスマの聖ヨハネの生首を包んだ布」といった豪快な聖遺物が伝えられている。フランスのシャルトルでは「聖母のシュミーズ」なるよろしげなものが巡礼者の尊崇を集めていた。さがせばきっと「聖ペテロご幼少のみぎりの頭蓋骨」とかも見つかりかねない雰囲気である。

 この状況にあっては聖書にある巡礼系の物語がいっそうの強調をなされるのである。聖書は旅の記述で満ち溢れているが、そのなかにあってもっとも人気の高い物語は外典のトビト書であった。この物語は犬を連れた少年トビアスが大天使ラファエルとともに旅をし、悪魔を退治して美女と結ばれ、父親の失明をも癒すというフェアリーテールである。以来ラファエルは巡礼の守護者として尊崇される。またラファエルという言葉が「癒す神」の意であるため、黒死病が大流行した時期にはラファエルも大流行していたといえる。上に出した聖ロクスの場合、かれも巡礼中にペストに罹患し、犬に食料を恵んでもらって奇跡的に回復したとされる。ロクスのもとにラファエルが出現したとする伝説も多い。見ようによってはトビアスの犬がラファエルとともにロクスのもとに現れたともいえよう。下に出した木版はともに15世紀後半のものである。


Raphael, dog, and Tobias St Roch, dog, and Raphael


 ちなみにトビアスが捕まえている魚は、実際はワニであるとする説もある。ポール・クリスチャンの『魔術の歴史』にある愚者相当のアルカナの解説いわく「 ぱんぱんに膨らんだ頭陀袋を持つ盲人が壊れたオベリスクにまさに衝突せんとする図が描かれる。オベリスクの上には鰐が乗っており、おおきな口をあけている。この盲人は自ら物欲の奴隷となった人間の象徴である。かれの頭陀袋は過ちと錯誤で膨らんでいる。壊れたオベリスクはかれの作業の残骸をあらわす。鰐は運命および避けられない贖罪の紋章である」。おそらくクリスチャンはトビト書(盲人、強欲)を念頭に置きつつ架空のエジプト風愚者を描写しているのであろう。クリスチャンの鰐はパピュス/ウィルト版にも顔を出している。

 中世の巡礼熱狂は最終的にイエス・キリストすら巡礼者の一種であるとする見解を生み出した。1851年に英訳が出た Didron のChristian Iconography or the History of Christian Art in the Middle Ages によれば、聖ジュヌヴィエーヴ図書館所蔵の14世紀の写本にキリスト巡礼の模様が描かれている。いわく


イエスは詩の冒頭で10歳前後の裸体の少年として描かれている・・・少年イエスは旅立ちにあたり父なる神から鞄と杖を受け取る。杖は老人の杖そのもの、永遠なる父がつく松葉杖にほかならない・・・神なる老人がかくして若き息子を送リ出すという発想にはなかなか感動的なものがある。しかも息子は喜んで人類の救済のために死に赴こうとしている。かれは地上に降り、長い年月を多大な苦難のうちにさまよい過ごすこととなる。
-- Didron, Christian Iconography (London: Eng.tr.Millington, Henry G. Bohn, 1851)


 ライダー・ウエイト・スミス版の愚者が若者として描かれ、ヘブル語照応にてShシンを与えられている理由がここにある。父なる神YHVHにShを加えるとYHShVHすなわちイェシュア、イエスの名前となるのは斯界の常識である。また黄金の夜明け団タロットの愚者が裸体の少年であるのも、巡礼少年イエスの伝承に起因するものであろう。そして少年イエスの巡礼という物語自体、やはりトビト書の影響下にあると見なしてよい。

 さらに進んだ設定としては、イエス・キリストが苦難の巡礼に出るのを嫌がり、ユニコーンとなって天界を逃げ回るというものがある。しょうがないので大天使ガブリエルが猟犬を放ってイエス/ユニコーン狩りを展開し、最終的に汚れなき処女マリアの子宮に追い込むというストーリーであり、これを「聖なる狩り」 Holy Hunt と称する。タペストリー等によく見られるモチーフである

Holy Hunt -- woodcut

 いかに中世にて巡礼熱が吹き荒れようと、さすがにここまでくると関係者にも躊躇が生まれたようである。聖ロクスも巡礼少年イエスも聖なる狩りも、トレント公会議(1554-63)にて廃棄通達が出されている。かくしてバイブル・グッズとして使えなくなった各種デザインやモチーフが、世俗用途すなわち暦やパンフレットや賭博用カードのデザインに流用されていくのである。木版タロットの意匠が世俗と聖域のあいだを微妙に振幅している理由はこのあたりに求めることができる。



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